四十九日 / 49th day

老部(おいぺ)待休所にて  Oipe memorial place

در چهل و نهمین مراسم یادبود پدرم、به روستای شیموکیتا/هیگاشیدوری بازگشت。29 آوریل、پایان مراسم یادبود به آرامی、تا آن زمان، الواح موقت را در محل استراحت دهکده (محل تجمع نمبوتسو با) قرار می دادند.、نمازخانه。به کوه اوسور (که رنگ مذهبی عامیانه جالبی شبیه کوه اوسوره دارد) منتقل شد.、これで父も先祖の一人となった

I’ve been Higashi-dori village for my father’s memorial celemony based on buddism in Shimokita. It means 49 days passed from his death. It is quite common and important custom in Japan. After this celemony, all of living member of his family are able to do ordinary behavior. And then his spirit turn to one of our ancestors. 2012/4/30

در بودیسم ژاپنی、死後49日というのはとても重要な意味を持っている日本仏教では死んだ日を1日目とし7日ごとに死者の生前の功徳についての裁判が行われるとする。هفت روز اول اولین آزمایش خواهد بود.、死者といえども「あの世での生死」がどうなるかの最初の裁判が行われるため緊張する。در آنجا خانواده های داغدار حمایت می کنند、تلاش برای حمایت、اولین پیشنهاد را ارائه دهید。تقدیم اهدایی به جامعه است.、必ずしもお坊さんに対して行うという意味ではない。خلاصه آن مرحوم、社会貢献の不足分を遺族が代行するということだ。و هر هفت روز یک محاکمه برگزار می شود.、最終第7回目で結審する。محاکمه همیشه در هفت جلسه برگزار می شود.、اپیزود پایانی مهم ترین است。ここでアウトなら死者は極楽浄土には行けず、به جهنم خواهد رفت。そのため遺族が死者に対して最後の、با کمک های مالی به عنوان تشکر بارگیری کنید、پشتیبان گیری از متوفی مهم است。بعد از این دیگه شانسی نیست。به همین دلیل است که می گوییم مراسم یادبود 49 مهم ترین است.。

“After 49 days from death” has very impottant meaning for japanese buddism. They say that every death person must be on trial every 7 days after death about his contribution to society (it colled “kudoku” ) at their living time. If the judgement means too short, that death person can not go to Heaven. The 49 days mean the 7th trial. This is final and most impotant chance. S0 most bareaved family would like to help them from this living world. Actually we served gorgeous dinner and money to the buddist priest specially. Sometimes it seems that cost is very big money .

این مراسم یادبود نیز برای راهبان است.、به عنوان منبع درآمد بسیار مهم است。در ژاپن مدرن、انگار بودیسم دیگر وجود ندارد.、هنوز هم فقط در هنگام دفن مردگان حضور گسترده ای دارد.。«اقتصاد تشییع جنازه»، به اصطلاح، راه نجات بودیسم ژاپنی است.。علاوه بر این، اندوه خانواده داغدار、غم و اندوه را نسبی کنید、できるだけ心理的負担を軽く済まそうという社会的ニーズのはざまそして温暖化による死体腐乱との時間的プレッシャーとの合間にドサクサ的ではあるが巨大な存在感を持っているそれが49日法要の現代的意義であるがわれわれ日本人は葬儀に関しては問題化しないという不思議な国民性を有しているのである

This celemony is not only important for death person but the priest also on a viewpoint of economy. In Japan, real buddism seems disappeared already but it has strongly existance around the celemony like this. Economy with death celemony is a life-line for japanese buddism indeed. Although most of japanese feel death celemony is out of all problem.

ゴミの行方

下北のホッチャレ鮭 水彩 2012

ホッチャレとは「捨ててしまえ」という意味だろう放っちゃえという音に似ていると勝手に考えている産卵後の鮭のことだ

産卵は鮭にとって死と引き換えの大事業だ産卵の成功は自分にとって確実な死をもたらすというジレンマを鮭は一顧だにしない凄いことだがそれ以前に物理的なエネルギーの消耗度も私の想像力などとても及ばないレベルであるに違いない

産卵するといわゆるサーモンピンクの肉色は急激に白っぽくなり肉も脂気の無いパサパサになる魚特有のぬるぬるした皮膚も一気にぬめりが無くなってしまう人も大きなショックを受けると一夜にして髪の毛が真っ白になることがあると聞いた記憶があるがそれに近い状態なのだろうか?しかもすべての鮭が確実にそうなるのだもちろんそんな鮭などもう誰も食べはしない(一度だけ安い鮭を車で売りに来た業者がいた近所の人が安いというのを聞いて私はピンときたあとで見せてもらったら案の定知らない人をごまかせる程度のホッチャレだった)それを食べるのは川のカニや水生昆虫の類そうやって鮭の体はリサイクルされていくため大量の鮭が死んでもそれで川が汚染されるということはないつまり鮭の死体はゴミではないのだ

昨日・今日と父が何度か危険な状態に陥ったらしい今日もいよいよかと思わせる電話が何度か弟から入った夕方になって一応安定したようだが予断を許さない

اما、兄の私は暢気なもので今日も大学からの引っ越し準備に追われていた今日現在で大学にはほぼ600枚の私の作品が片付けのために集められている水彩やスケッチの類を含めたら膨大な点数になる頭痛のする量だがそれでもこれまで引越しのたびにかなりの量の作品を処分した残りである。ولی、現存作品を見て更に残すに値するかどうかははなはだ心もとないもしかするとこれらは既にゴミなのかも知れない

「人は死ねばゴミになる」という本があった灰ではなくゴミと言うのであるから衝撃的なタイトルだ(読んだ記憶はあるが中身は全く覚えていない)がこのあたりになると「ゴミ」の定義がそろそろ問題になってくる

父が亡くなってもそれをゴミだとは私は思わない。اما、鮭のようにリサイクルされずに燃料コストをかけて焼却するという点だけに注目すればゴミのように熱エネルギーさえ利用できないヒトの死体はゴミ以下であるという言い方もできようましてや残す価値さえない絵を作り出す私は更にそれ以下の存在かも知れない

ヒトは自分たちが動物の中では最上位だと近年(人類史的に見て)とみに驕り始めているように感じるヒト以外の動物は殆どゴミを出さないから結果的に最上位はゴミを出す量で決まったかにも見える人間は生きて行くうえで絶えずゴミを作り出さずにはおかないいわば地球の天邪鬼(あまのじゃく)なのである

鮭の死は清々しいヒトの死人間の死もかくありたいと思うホッチャレの姿だった   2012/2/19 日曜日

大湊(おおみなと)

海上自衛隊大湊基地2012正月

父の介護に通った病院から車で2分海上自衛隊大湊総監部(60数年前の旧日本海軍大湊基地太平洋戦争の幕開け真珠湾攻撃への連合艦隊はここに集結したらしい)がある現在は海上自衛隊の大湊・北海道方面司令部になっている1月3日の夕方久しぶりに穏やかな冬の日病院の帰りに寄ってみた時の写真だ

وقتی در دبستان بودم、海洋少年団というのがあったやせっぽちでひよわだった私は「海の男」の強いイメージに魅かれて入団を熱望した手旗信号などはすぐに覚えた(なぜか今でも覚えている)白い将校服に憧れたのが今では夢のようだが艦を見ると今でもなんだかドキドキする

私は戦争を知らない世代だでも子供の頃の親の話といえば戦争に関わった話が多かったように思う戦後20年も経っていない時点ではまだ記憶も生々しかったに違いない

国のため親のためそうやって自分自身を見つめることのできなかった祖父・親を見ていたそんなこと真っ平御免俺は俺流で生きるよと両親の心配を鼻で笑い飛ばしてきた自分がいざ自分の子供に対してみるとなんだ俺もかと愕然とする

基地のラッパが鳴ったラッパのそれぞれの意味はもう忘れてしまった   2012/1/16