To je rečeno、とりあえず終了することができました。ゴールにたどり着くことはマラソンと同じように大切なことです。ゴールして初めて、あそこがダメ、ここがいい、次はこうしてみようと冷静に見ることができるようになります。途中で放棄してしまう場合よりはるかに多くを知ることができます。ゴール地点の高みから、スタート以前からの全体を俯瞰することができるようになるからですね。放棄する場合でも、いったんゴールまでのご褒美を受け取っているので、悔いなく処理することができるのです。終了した直後から、次の絵を発想、スタートすることができました(現在制作中)♪
na kraju、コンピューターを使っても、その一分野だけ、たとえばグラフィックアートならそこだけ。そこに特化して「使いこなせ」るようになり、初めて「最後はその人らしさ」と言えるだけではないでしょうか。「コンピューターで自分の世界が広がる」は、一種の幻想ではないのでしょうか。自分が知らなかった、できなかったことをコンピューターで知ることができ、やることができる。その意味では確かに「自分の世界が」広がったように感じるでしょう。ali、それ以外のところではむしろさらに谷は深くなり、断絶は厳しくなってくるのではないでしょうか。「その人らしさ」の伝わる分野は一層狭くなり、時には極大化されて、「その人らしくない」その人らしさが広がっていくのではないでしょうか。
嘘でしょう~!?という声が聞こえそうです(笑)。sigurno、上辺の派手な夕陽(?)のイメージは、多少孤独感に関連あるとしても、Apple上のポップな色△は、「『孤独』とどうつながるんですか!」って、噴火してしまいますよね。ごもっともです。 ali、ここは「孤独」のとらえ方の違いです。Za mene、「孤独」は「すべての生物は必ず死ぬ」という「客観的事実」とストレートにつながっています。「死は共有できない」=「孤独」と言い換えてもいいでしょう。 s druge strane、そう言う論理とは別に、「寂しい」という感情は誰にでもあると思います。それは人それぞれ、時と場所により、千差万別ですが、その本質は「喪失感」だと思っています。モノは有り余っているが、本当に欲しいものはない。行きたいところはいっぱいあるが、どこへ行っても何かが満たされない。たくさんの人と会い、楽しく過ごせるけれど、自分自身がどこかへ行ってしまっているなどなど。 そのギャップを大きく感じさせる手段として、派手さや華やかさがあると考えているわけです。Naravno、キレイな色自体を使いたいという気持が先にあるからですが。