Izložba slikanja plavog galebala、22日から

青いカモメの会絵画展案内状

青いカモメの会絵画展が22日()から始まるそのための準備が進行中だが個人個人の作品準備はどうやら一段落ついた感じがする。još、準備が全然出来ていないのはわたしだけだ、sigurno。

出品作品を事前に見せてもらっているがけっこう面白い作品がある手前みそだが“老齢スクール”(失礼承知ですがごめんなさい)としては意欲的で若々しい作品が多いと思う。Molim、多くの人に観てもらいたい

s druge strane、本人または家族にあちこち不調ができることも年々多くなってくる年相応どうしても避けられないことではあるけれど無理しないでと思うようなときもあるそんななかでもみんなが絵を描く気力を保っていることは誇らしい彼女らの絵には日常と非日常が渾然一体となってきているのを感じる描くことが特別なことではなく(それなりのプレッシャーはあるにせよ)日常の一部になりつつあるのを感じる
 「芸術」がなんだか特別な人々だけの手の届かぬ世界のことのように思っている人がいまだ大多数に違いないがそのような行き方では芸術は死んでしまう絵画に限らず芸術家は常に人々が芸術を「日常化してくれること」を切望してきた表現としては同時代の人々の理解をこえるものであっても“それでも理解して欲しい”と訴え続けてきたのが美術史のもう一つの見方だと考えている芸術はモノにではなく人間の中に在る確かに作品は物理的なモノだけれどそれを作る人の時代と環境を抜きにしては語れない環境とはそれを支える人のこと

青いカモメの会絵画展ではいわゆる“正真正銘の芸術作品”はたぶん期待できないかも知れない。Međutim、「青いカモメの絵画教室」ではあえてそれを目標にしてこなかった(チャレンジはおおいに結構)し青いカモメの会絵画展は「芸術を支える人の芸術展」であることが大事だとも考えているこれまでのツライ「絵画修行」で絵を描くことの内側を体験理解してきたそういう視点を持つことそれぞれの表現やレベルにもゆっくり造詣を深めてきたそしてそれがどんなかたちであれ社会に染み出していくそういう存在になることが大事だしそうなってきたなあと嬉しく思っている

“失敗”はどこ?

こりゃあ失敗作だ。ali、どこが悪いかチェックしなくては
とりあえずCGで修整してみた「間違い探し」感覚で見てください。。

「桜を描く」と宣言したからにはと勢い込んで描いてみた。ali、描いてみると「こりゃあ失敗作だわ」そもそもスタート時点からもっとずっと横長に描くつもりでいたのに「スケッチブックに合わせて」集中構図にしてしまった時点で“失敗”だった

失敗を公開するのは嫌なものだがなぜ失敗したのかどこが失敗でそれをどう直せば次につながるのかは描く人にとっては“上手くいった”絵より時には大事なことがある

まず客観的にこの絵を見るすると ①重要なモチーフが集中しすぎと最初に感じるでしょう狭い画面に要素を盛り込み過ぎているんだよね初心者に最もよくある失敗を数十年の経験者(わたしのことだ!)がやっちゃってます恥ずかし~! ②どこが悪いのかと言えば「右側の逆光の桜の枝」全部必要ないですね逆光の枝は左側から少し出ているそれで十分右側はすべて「蛇足」右側の枝を描こうとする前にそれは頭をよぎったけれど「えいやっ」とやってしまった「なぜ『えいやっ』だったのか」まではここでは公開しませんが

他にも細かいところはいろいろ失敗あるけれどゆったりした横長にしなかったのがダメの出発点かな横長にしていたら②はむしろ効果的だったかもしれません。zaključno:スケッチブックの紙面を全部塗らないともったいないような気がしたことがすべての失敗の遠因かも“ケチ根性”が身の破滅ってことかなあ~あ
※水彩スケッチの現物修正は3月13日(月)夜に実施しその内容は録画しました。1週間以内に修正部分も含めこのスケッチを3月17日()夜にYouTubeにアップする予定です

Obično "Apple Kingdom"

Apple-prelazak mora SKIJE.

Uskoro ću započeti s produkcijom za izložbu Shinshunkai (lipanj/kasukabe).。Iako se izložba održava u lipnju, rok za fotografije za katalog je početak travnja.、3Rad mora biti završen u roku od mjeseca.。Ovo je skeith (skica idea)。Mislim da ću ove godine ići ovako。Dodan CG u rad izloženo u Ginzi prošle jeseni.。

Računala su zaista prikladna。I ova vrsta tiska、Uz još samo nekoliko dodira, možete stvoriti kompletnu sliku.。Sve što ostaje je da ga "shvatite" pomoću stvarnih materijala.。Ali、Ideja `` razmišljanja rukama 'malo se razlikuje od one na računalu.、Ne, uopće ne。U prvom redu, staza na kojoj hodamo je drugačija.。

Vidim ljude kako hodaju s desne strane lijevo preko trave sa strane.。Ako postoji paralelni put、Koliko se vidi sa strane、Ne mogu reći kojim putem hodam。Tako je。Čak i ako je smjer lica osobe koja hoda isti s desna na lijevo、Put se postupno klizi。Odredište je drugačije。Tako su različiti ručni i CG.、Uvijek to osjećam、(Iz nekog razloga) pokušavam se naviknuti na CG.。Ne znam je li to dobro ili loše za mene。To je vjerojatno kockanje nazvano "intuicija"。

Ovdje 2,3Ovo je stil ovogodišnje slike.。Neobično (prvi put?) Za mene imam fiksnu sliku.。Prije desetljeća、Razni stilovi、Napravljeno od raznih materijala。Ono što mislim sada jest、Bez obzira na koju sliku crpite, sve dok ste tamo, u redu je.、To je ono。Čak i ako je jedinstven、Čak i ako je to uobičajeno、Ovo je samo "bezbrižna" "procjena" iz vanjske perspektive.。Čak i ako se naziva "običnim"、Za mene se nemam vremena brinuti o etiketi "osrednje".。