立ち止まることができない。前回「Take your time」で「自分の時間」について書いた。いくらか前向きな気分で書いたが、ふと自分の足元を見ると地面さえないことに気づく。自分はどこに立っているのかが分からない。自分のもっているもの、こんな状況を変えられるものは何だろう。何にも持っていない気がする。失くしたのか、それともはじめから持っていなかったのか。
自分の時間はどのくらいあるのだろう。これから何年生きるかによるけれど、現実には誰も自分の寿命を知ることができないわけだから、計算などするだけ無駄という気もしないではない。با این وجود、そろそろラストを考える年齢になってくると、“終了式” の段取りがしたくなってくるものらしい。
10 سال مونده、というのがわたし自身の(単純に感覚だけの)寿命予測。睡眠や体調不良による“何もできない” 時間がその3分の1、少なく見ても3年半。仕事など生活のための時間がやはり正味で3年くらい?わたしには何の蓄えもないからもっと長期間必要かも知れないが、その時にはもう体が動かないだろうから、たぶんそんなもの。
今日9/11(月)から実質的な教室再開。暑さでほぼ描けなかった人、晴天(炎天!)に恵まれ、あちこち遊びまわり過ぎて描けなかった人など様々でしたが、感心にも新しい画面を描いてきた人がいたのは、ちょっと嬉しい“予想外” 。皆の刺激になったかもしれません。午後からの教室が終わる頃には、天気も秋晴のようなすっきりした空に変わってきました。まだ暑いことは暑いけれど、暑さの芯が無くなってきて、空気の透明度も増してきたように見えました。 به آن فکر کنید、ウオーキングをすると、半分以上の田んぼではもう稲刈りが終わっています。今年は7、8月の全国の平均気温がこれまでの最高を大幅に更新(気象庁)したこともあり、稲刈りの時期を早めたのだと思われます(各県農業技術研究センターの公報などを見ると、高温の時は「刈り遅れ」が「割れ」などの品質低下になると注意を喚起していました)。