いよいよ個展だ

ホニュウルイの風景 F6 2011

いよいよ個展全然準備らしい準備も出来ておらずこれからジョイフルへ行ってテープを買い額縁代わりに周囲をぐるりと回して出品しようという横着な神経に我ながら愕然としているところここ数日は筆さえ握る時間が無い(このブログは?)

最大作はほぼ300号の「円盤投げの男」(あえて未完のまま出品)なぜ円盤投げなのかは会場で考えて下さると有り難いですが最小は4号の数点時間からいえば4号、6号がもっとも時間がかかり大きくなるほど短時間で描かれているそれは今回だけでなくいつものことだたぶん私自身の内面的な性向がそういう結果につながっているのだろうと思っている

「ホニュウルイの風景」は出品作の1点今の段階での感想だが本当は今回の真のタイトルはこれだったかも知れないと感じている作者としての私の思いは別にして見て下さる方のすべてにポジティブなものネガティブなものそれぞれいろんな感想があると思う。Molim、それを聞かせて頂きたいと願っている 2011/12/06

今年の最後は「めまい」で終わるのか?

HANA(水彩・部分)2011

個展を目前に控え忙しいのと体調不良とで最後のチャレンジが止まってしまった

忙しいのは仕方ないとして困っているのは「めまい」数日前の朝から急に始まった

jutro、布団を上げようとした瞬間天井がグルグルと回り出し布団の上に突っ伏してしまった「昨日無理はしなかったはずだが?」ととっさに回想したヘルニアのある首への負担が原因だと思ったのだすぐに治まったがふたたび体を起こしたらまたしても天井が回る

Srećom、その2回だけでその日は済んだが車の運転の時は緊張したひょっとした拍子にめまいが来たらどうしようと心配だったが何とか仕事は終えた頭痛はないが頭の中に圧力が感じられる血圧を測ると125-92上はともかく最低血圧が高すぎる普段は血圧優等生で100-70前後時々上が100以下になり低血圧ではないかと心配になるほどだからこの92はとても気になっためまいは今も時々起る(寝ていても)ネットで調べた限りでは良性で放っておいても数カ月以内に治るものらしいのだが

その日実家の弟から電話父の容体に重大変化かと緊張したがやっと地元に近い病院への転院の話だった(これまでは病院へ通うこと自体体力的にも大変な負担だった)これからのことについてもいろいろ話し合おうということになった父の具合も気になるし個展終了後なるべく早く青森に行かなければという気持が強くなった

田舎は医師も病院も限界に近いほど不足している(そのために一つひとつの病院が過密になり医師の負担は増し高齢の患者ばかりが溢れている)近くに転院出来たといっても車が無くては見舞い一つが大仕事になってしまう青森まで一人で車を運転し帰ってこなければならないそれ自体も大きな負担だが途中でめまいでもしたらどうしようと新たな不安がある今年は最後の最後まで落ち着かない年になりそうだ

3年ぶりの個展です

個展Dm

Osim povremene izložbe skice akvarela, svoju će prvu samostalnu izložbu održati u tri godine.。Planiranje svake godine、Nakon što je dva puta otkazao, bio je to prvi put u tri godine。Naravno, nije da nisam uspio u to vrijeme、Nisam se mogao osjećati kao da ću održati solo izložbu.。Čak i ako dođete ovdje、Još uvijek se osjećam kao da želim prestati。Druga polovica je moje zanimanje za sebe。

"Čovjek skloništa" proizveden je prije zemljotresa Velikog Istočnog Japana.。Od riječi "sklonište"、Podsjeća me na sliku iz nuklearne nesreće、To je nebitno。Moj osobni、Želio bih još jednom naglasiti da je stvoren iz svakodnevnih senzacija.。

Nedavna glavna djela uključuju "The Scream Man" (2008), "Tatsumaki Man" (2009) i "Novi br. 5" (2010).、Povezano s "Čovjekom skloništa" (djelo drugačije od DM 2011).。Mislim da je ono što prikazujem portret ili postojanje divovskog čovjeka (vjerojatno o sebi).。

U "Čovjek koji vrišti" to nije ljudska "riječ"、Nacrtao sam ga jer sam htio vrisnuti kao "glas osobe".、Prije nego što nacrtate "Čovjek Tatsumaki"、Čak i dok sam nacrtao veliki šljag pojavio se u meni.。Što je groteskno u "Novoj genezi"? Pogledao sam vlastite fizičke promjene (uključujući starenje) i razmišljao o tome.。I "sklonište"。

Primarno značenje "skloništa" su, naravno, "krpe i građevine kako biste se zaštitili".。「自分は弱い生き物だ」という意識が前提になっているはずだ。ali、それでは巨体のグロテスクで暴力的な「男」のイメージと矛盾するのではないか?

日本の民話には「鬼・おに・オニ」という巨体の男・角が生え全身が赤かったり青かったりで、Osim toga, ima dlakavi, groteskni izgled、Postoji "ličnost" koja je čovjek s bijesnom i zastrašujućom snagom izvan dosega ljudskih i ljudskih bića.。Mnogo je priča o žrtvovanju mladih djevojaka.、Mnogo je priča o tome kako shvatiti tu djevojku važnije od vlastitog života。Ako pogledate samo to područje、もしかして私が描いているのはオニなのではないかと実は自分でも感じてくる郷里である青森ネブタの造形も面白い視点を示してはくれる

ali、それは牽強付会というものだ私はネブタを念頭に置いて制作したわけではないし世界の民話を勉強してからアイデアをひねったわけでもない。Daichi、そんなところにちょいちょいと意味をなすりつけては私自身のメンツが立たない自分がオニなら(オニであるがゆえに)哀しいとの共感があるその共感において「新生」と繋がっているのである(美しい女性を私はオニと心の中で呼んでいるおそらく美白美肌は地球の反対側に棲む多くの犠牲の上に成り立っているのだから)私は自分の歴史の中で絵を描いている自分の存在史を描いている私が他の画家と少し毛色が違うのはきっとその辺に理由があるのだろうと最近思う

※美しい女性がオニなら私は何であるのか逆説的に惑うのである世界は悩ましい

Exhibition:at Gallery Keifuu/minami-kosigaya/ phone 0489-89-1899 /11am to 6pm Come on, and talk with me.