
「コスパ」はもうすっかり「日本語」だ。日本以外ではどこにも通用せず、かつマスコミでもごく普通に使われているのだから、すでに「純粋な」日本語というしかないだろう。まあ、そんなことはどうでもいいが、要するに「効率重視」のこと。
最近YouTubeも“倍速”で見る人が急速に増えているのだそうだ。ユーチューブだけでなく、ニュースも、なんと勉強、教養まで。確かにニュースなどは時間当たりの価値が低く、倍速どころか4倍速でもいいと思うことさえある。勉強も教養も知識を得るという点では、倍速で出来るなら、それに越したことはないのかもしれない。
فقط、知っていることとそれを味わうことができるということとは全然別のことだ。お茶でもお酒でも、銘柄やなにかをやたら詳しく解説したりすることは、時に味わいの妨げになることもある。一つの銘柄のコーヒーだけを愛し、その時間をじっくり楽しむ人にとって、他の銘柄の産地だの、トレンドだのはどうでもいいことだし、コーヒーに関する知識がある方がより深く味わえるのかどうかは分からない。勉強や教養などはもともと自分自身が世界観を広げ、深めるためのもので、それで賞賛を得たりするのはまた別のことのはず(だった)。اما、味わいが解るようになるまでには、なんと言っても時間と(たとえ大金でなくても)お金がかかる。
でも、どうやら教養と知識が混同され、教養ある人=博識=知識人=いいね!の数(!)になりつつあるらしい。そういう意味なら、教養を「倍速で身につける」ことの大事さも理解できそうだ。もっとも、教養ある人は多くの場合博識でもあるから、一概に「混同」とも言い切れないが。
「15分で芸術のすべてが解る」といっても誰も信じまいが、もう少しすぼめて「15分でジャズのすべてが解る」と言えば、(ジャズの教養ある人にとっては“フン”と鼻もひっかけないだろうが)わたしのような音楽の素養のない人にとっては「見てみようか」という気にならないとも限らない。時間とお金の“コスパ”が、場合によっては数百、数千分の一で済みそうな気がするからである。
YouTubeでのわたしのビデオ「フェルトペンの使い方」。「8分17秒」で、「フェルトペンで何でも描ける」ならコスパ最高!だが、それで描けるようならすべての画家はとっくに廃業しているはずなんだ。ちなみに、ビデオでは「(わたしの)使い方」については解説していますが、それを見ただけで誰でも同じように描けるとは言っておりません。