スケッチ手描きとCG

ふるさとの川を描く2

ふるさとの川を描く3

「ふるさとの川を描く」23は数日前に撮影が終わり時間が取れ次第ビデオ編集にかかる予定です来週中にはどちらかをYouTube にアップしたいと思っています編集作業がもっと手慣れてくるといいのですがいまのところは一生懸命やっても全てにおいて非常にノロい

「青いカモメ絵画教室」では千葉県野田市で来月スケッチ会をする予定ですその際に水平線の探し方位置の決め方などスケッチの参考になるようにと「川」とは別に5本の動画を撮影しましたノロノロのわたしですが少なくともそのうちの1本は今月中にアップしたいと考えていますご期待ください

YouTube の「青いカモメの絵画教室」は昨日視聴3000回を越えました(パチパチ)最初の1000回までに10カ月、2000回までに2ヶ月、3000回までに一カ月半とだんだんペースが上がってきています数字の魔力というか数字に励まされるというかもう少し頑張って続けようという気持ちになることは確かですいわゆるユーチューバーの人たちの、1日で数万回というのに比べるとまさに月とスッポンですが「千里の道も一歩から」とりあえず「最初の一里」を目標に半歩ずつでもいいから進めていけたらいいなあと思っています

絵はフェルトペンで描いたものですがこれくらいなら実はCGでも十分に描くことができそうです単純にリアリスティックというならCGの方がさらにグレードを上げることが可能です(スピードは慣れのせい?で今のところは手描きの方がCGより10倍早い)。ali、YouTubeから感じるのはやっぱりCGより手描きを見たいんだなあということ(わたしの場合だけかも知れませんが)何かホッとするものを感じながらビデオ編集を続けています

nepotrebne stvari nisu nepotrebne

17s prošlogodišnjeg bloga

17Prije godinu dana to je bio blog (tada se zvao početna stranica).。2Daimeova početna stranica。Ovo sam napisao na trenutnom blogu "Aoi Kamome" je treća generacija)。nostalgičan。I sada se još uvijek tako osjećam。

Prvo sam svoj blog crtao u bloku za crtanje.、Skenirao sam ga i zatim učitao。Blog koji sam pisao prije spavanja ponekad je bio problematičan, ali je bio zabavan。2U generaciji se štošta crtalo na računalu。Trenutačni blog je treća generacija.。

moj učitelj informatike、Otkad je bio u vrtiću, moj sin。Kad ne znaš ni čitati hiraganu、”pritisnite bilo koju tipku ” Iznenadilo me što mi je rekao: "Ovo znači da jednostavno morate pritisnuti bilo koju tipku."。Dok tu i tamo dotakne računalo、Pretpostavljam da sam povezao likove s operacijama.、Bio sam zadivljen snagom njegovog uvida.。Nakon što sam ga naučio Romaji, ubrzo je počeo tipkati Romaji.。

Sviđa mi se ovaj ručno rađeni blog、razmisli ponovno。Na primjer, slova i slike su svakako "informacije", ali、Rukopisni znakovi puni su "nepotrebnih informacija"。Nepotrebno、Na primjer, u smislu prenošenja značenja, tvrdoća i mekoća znakova i suptilna zamagljenost su nepotrebni elementi.。Međutim, sa stajališta "○○ karaktera"、daleko od nepotrebnog、može čak biti i bit。Neki ljudi kažu da su "putovanje" i "putovanje" različite stvari。Kraće vrijeme do odredišta je bolje、I tužno je što su vrijednosti posvuda。Podrijetlo crteža je sigurno tu。

リンゴ園の青い空

りんご園の青い空 (CG)

 100号のアイデアを小品用にアレンジしてみたがさすがに単純に小さくした部分は細かくなり過ぎる小品と大作では作品に対面する距離感が全然違う距離が違えば見る(見える)ものが異なるモチーフが同じでもサイズ(距離感)にふさわしいメッセージにしないと伝わるものも伝わらなくなる

斎藤典久さんの個展に行ってきたアイルランドのアラン島という島にもう30年以上通っているその島自体に染みこんだ時間を絵画にしたいという彼の絵を見ると画家というのは歴史家であり風土史家であり地質学者であり地政学者であり気候学者でありペシミストであり同時にオプティミストでもあるのだと思うそしてそのうえに「絵の具を扱う専門家」

今日上野の西洋美術館で「ピカソとその時代」展も見てきたパウル・クレーの作品も思ったよりたくさんあったわりと小さな作品が多かったせいでこれまで見たことのない作品が多かった発表用の大作と違い小品は一言でいえばビジネス用でもあるしトレーニング用研究用でもあるそこには作家の大作に表現されるものとは別な一面が現れる小品を見るとピカソの“意外な” 繊細さ(まじめさ)が感じられた

しかし何にせよ今は絵を描くことが難しい時代だと感じる無心に平静に楽しく絵に向かうことができない時代だマスコミ用語では「時代を超える」などと簡単に言ってしまうけれど生身の人間にそんなことなどできるわけがないたまたま無心に平静に楽しく描けてしまったときタイムマシンに引っさらわれたように結果として越えてしまうことはあり得るとは思うが