美的価値感

    宇佐美圭司(参考作品)

در کافه تریا دانشجویی دانشگاه توکیو (زیرزمین سالن یاسودا) بود、این بدان معناست که این شرکت تعاونی شاهکار (4 4 4 متر) Keiji Usami (دفع) را دور انداخته است.、از همه جهات متحیر شده است。

این شاهکار、به مناسبت گرامیداشت سی سالگرد تعاون دانشگاه توکیو、به نظر می رسد این تعاونی از عثامی خواسته است آن را تولید کند.。

با بازسازی امکانات در محوطه دانشگاه ، کافه تریا نیز جابجا می شود、البته آنچه که با کار انجام می شود ، به یکی از موارد دستور کار تبدیل شد。اما、پس از همه صاحب است、طرف تعاون دانشگاه بسیار مشکل ساز شد、آیا این است。بدون مشورت با متخصص در مورد نحوه جابجایی یا ذخیره سازی、ارزشهای زیبایی شناختی آنها به شکلی که (مخفیانه) آنها را دور می کنند ظاهر می شود。من فکر کردم این یک عکس خسته کننده است、آیا این است。

علاوه بر این ،、دانشجویی "چه اتفاقی برای آن تصویر افتاد؟"、برای سوالات دانشکده و کارمندان、همچنین مشخص شد که وی به یک دروغ سست پاسخ داد。از این گذشته ، دقیقاً مثل جواب دولت در برنامه Diet over Moritake است、فقط از این نظر、راضی بودم که دانشگاه توکیو است。

「自信」ではなく「自身」

青いカモメの会 絵画展

第5回カモメの会 展が今日から始まった今日は陳列と午後1時からの開場雨の予報だったが開場中は何とか降られずに済んだラッキー

出品者は目前のゴールテープをとりあえず切ったのでホットするのも束の間気がつくと自分の作品が急に心もとなくなってうろたえ始めるあげく自信無くしてしまいましたどうしたらいいんでしょうなどと言い出す

متأسفانه、こういう場合放っておくのが一番ある意味ではつまらぬ自信などない方が良いし人に褒めてもらって付く自信など次の批評ですぐにぐらつくに決まっている

個性的であることが最も大事。ولی、それは必ずしも風変わりな作風であることを意味しない世の常識に惑わされず「等身大の自身」であることが重要でそれが結果として世の常識とぴったり同じであるはずはないというだけのこと

新しい誘惑

今年も似たように花は咲くが誰も前の花など覚えてはいない

浮世絵版画の背景?に書かれた文字が読めないというイライラは以前からあったのでこの際一挙両得ということで変体仮名の勉強を始めた(もともと外国語ではないので)覚悟を決めてかかったわりには読みだけならそれこそ基本のイロハを覚えれば何となく読める江戸の庶民は基本的にひらがなしか読めないのでそれで浮世絵の中の文字ならだいたい読めることになり当座の目的は達成する

ولی、読めるけれどなんの事だか分からないというのがたくさんある例えば江戸時代に使われた道具ひとつとっても現在既に使われていないものについてはそれが道具であることさえ分からないそれは江戸時代の文化や社会などについての知識がないからだ

それを知りたいとなると厄介だどんどん深みにはまってしまうこれは危ないどこかで切り上げないと大変なことになる。اما、危険というものはたいていいつも興味と背中合せになっているものだはじめの一口がいつのまにか大酒飲みを作り出してしまうようなものか