腐る日

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動画編集は難しい―2絵の動画ならとりあえず絵を描くのはどうということはない撮影もまあ何とかけれど編集作業では荒野をひとりさまようような孤独感をあじわう

画像編集ソフトにはチュートリアルといういわば体験学習のビデオがおまけについている。2分とかせいぜい5分程度にまとめられた手順を一つ一つなぞることで編集の流れと操作を体験しそのあとで実際に自分のプロジェクトをやるという流れになっている

手順1何がどうなっているのか皆目意味不明のまま画面をすいすいと説明のカーソルが移動しホイホイと場面が変わる理解できないまま何度も繰り返して見るあんぐり口を開けたままなのに気づくまで30分も経っている自分の番が来ても手が動かない「シーケンスは?」と問われても「は?シーケンス?」いちいちその意味を調べそうやって時間はどんどん過ぎていく

まる一日かかってほぼ成果なく終わるそんな日はほんとうに気持ちが腐る「自分には無理なのではないか」「他にもっと意味のある時間の使い方があったのではないか」英語習いたての中学生がいきなり本格的な英文の小説を読み始めたって感じかな単語の意味だけ分かっても場面はぜんぜん浮かばないそんなつらい読み方

動画難しいよ!

梨とベゴニア

毎日忙しいその忙しさの半分は「動画制作」。گفت ،、動画をたくさん作るのに忙しいわけではないそもそも動画なんてこの半年間でまだ数えるほどしか作っていないしそう簡単に作る能力もない確かに「オンラインで動画配信」は経験したがなんとかギリギリ間に合わせていたというのが実情だった

با این وجود、曲りなりにでも動画制作配信をしてみてこれは自分には必要なことだと直感した(それにしては立ち上がりに3か月もかかったが)機材とソフトとやる気の3つが揃わないと始まらないが「本当にできるかなあ」という不安も50%くらいで機材ソフト購入にも腰が引けていた

در پایان、できることといえばそれしかないし、فقط اکنون。その他の事情も重なってようやく「自作パソコン」(すでに書いた)になったという次第。در حال حاضر、カメラはスマートフォンを活用三脚照明とも安物ながらとにかく最小限の機材は揃えたやる気は「とりあえず」あることにして動画の海へ出港した

上の動画「梨とベゴニア」はじつはカメラを使っていないたまたま持っていたスキャナーと新しく契約した動画ソフトで。4秒に1枚の割合で自動スキャンした、110枚の写真を動画ソフトでつないだだけたったそれだけのことなのに「編集が難しい」!

به هر حال、この梨スケッチにはラ・フランスと書いたが「北海道では『普通の』梨」と今日(10/27)判明しかも「西洋」梨ではなく「中国」梨のなかまなのだそうだ「原種」っぽい味がある西洋梨もシルクロードの産物かも私の航海も何とかなるかな

変わるもの変わらないもの

英戦艦「ラミリーズ」模写 1970
「対馬山猫」 模写 1967

パソコンを新しく買い替えたことはもう何度も書いた替え方が荒っぽかったので周辺機器の環境もそれにともなって変えざるを得ず一つ機器が入れ替わるたびにモノの移動と片付けをするはめになった

古いスケッチブックを捨てるつもりで開いてみると上のような絵が他にも何枚か挟んであった上の戦艦は高校2年生(17歳)の時下の山猫は中学2年生(14歳)の時の模写だたぶん丸ペンと油性インクか墨汁「山猫」では手前の木の表現に割り箸を削ってタッチを変えて描いた記憶がある

手前みそだがなかなかよく描いていると思う特に下の中学生の時の模写は「山猫の兄弟」という本にあった挿し絵を真似て描いたものだがハッチングの線が実に描きなれていてよどみない余裕を持って描いているのがわかるもしかすると今より上手いかもしれない文房具屋さんもない田舎で好んで絵を描くような人が誰も周囲にいない環境で油性インクや丸ペンをどうやって知り手に入れたかもいまでは謎それが若さだなあと思う

戦艦のグレーの部分は今では描けないほど細く鋭いクロスハッチングになっている。17歳といえば私のペン画による「初個展」の年サルトルの実存哲学に触れ「世界の中の自分」というものを初めて意識した年だったちっとも勉強はしなかったくせにカミュなどを愛読しいささか反抗的な気分をみなぎらせていた(笑)これらの模写を見ると最近は何でも年のせいにして「逃げている」のではないかと突きつけられたような気になる悪いものを見つけてしまった