できることから-2

「できること」は人によって違うそんなことは常識だけどそれは言葉だけでわたしなどはつい「(人と同じ程度のことは)自分にもできそう」な気がしてしまう「人と同じ程度の」の「人」ってどんな人のことなんだろう「同じ程度」ってどうやって計るのかなんて考えずに漠然とそんな気になっている

歌を歌う楽器を演奏する魚釣りをする山登りをする詩を書く料理をする・・項目を挙げればきりがないがどれをとってもプロ級に上手な人もいれば不得意な人もいる「普通」とか「人並み」ってどの程度なのか誰にも判定できない(のではないかと思う)なんとなく「自分の中の平均値?」に照らしているだけ経験がなければそれさえ作れないはずなのになぜか(神のように何でも)分かっているような気になっていたりするどうしてなんだろうか

一種の「情報・知識」があれば「知っている」ような気がするんだろうね知識の中には「他人の失敗」というのもある自分はそれよりはちょっとマシかなというヤツそうすると「できること」というのは一定の知識がありしかもそこそこ「自分はもう少し上手くできる」くらいの自信があるものということになるのだろうか

未経験のことならできるかどうかなんてやってみなくては本当は分からないできても出来なくてもやってみれば何がしかの手応えがあるそれを基にできそうだと感じたらもう少し深くやってみるそういう意味なら「できることから」ではなく「出来そうなことから」にタイトル変更だ一方いろいろやってみてどれも薄い手応えしか得られなかった経験者からするとその(薄さの)濃淡から「とりあえずこれなら」という感じで「できたことから」になるのだろうか
 最近「なんでこんなことができないんだろう」と頭を搔きむしることが増えたそれが髪の毛が薄くなったのと関係があるかないかは知らないが本来やるべきことを忘れてこんなどうでもいいことを妄想していたこれじゃできることもできなくなるワケだよね

由...出版

高志的個人博客。不只是關於繪畫、我每天都在想什麼、你感覺到什麼、我想到什麼就寫什麼。這個部落格已經是第三代了。從開始到現在,已經有20多年了。。 2023從1月1日起、現在,我決定只在奇數天寫作。。我會一點一點地思考我未來的方向和其他事情。。

發表評論

您的電子郵件地址將不會被發表. 必需的地方已做標記 *