
距離中國武漢出現新型病毒感染的肺炎患者已經過了一個月。。起初,有5至6人參與菜市場。、我一下子就住院了。、一段影片顯示,人們正在對該區域進行消毒,懷疑感染可能來自食物。。
很快就流行起來了、一座人口超過1000萬的大都市、武漢事實上的“封城”、禁止來自湖北省的旅行。不僅是在中國境內,例如拒絕在該省停留的人入境。、國際議題,包括人權議題;、它似乎引起了近乎情緒化的反應。。收音機、在電視上(雖然報導的方式有點不尋常)、網上賣口罩價格異常高等相關新聞、每天都在置頂報道。
關於「鑽石公主號」郵輪靠泊橫濱港及檢疫事宜、日本政府應對危機的無能逐漸顯現出來。。我對首相和其他部長缺乏把握局勢的能力和想像感到難過。、我真的很驚訝。「交給現場」這句話仍然是一個贊成的意見。、關鍵是,你所要做的就是保持一種姿態,表明「我們正在處理這個問題」。。我感覺那裡沒有任何嚴肅性。。一些批評者為其辯護說這是因為他們不習慣。、每當發生緊急情況時,日本都會派遣醫療團隊到世界各地。。從中得到的經驗和教訓、我意識到它在我自己的國家根本不會被使用。、身為納稅人,我應該欣然接受嗎?。
各國人士搭乘的遊輪等、我們需要對國際人權議題特別敏感。、そこにこそ政治家の存在意義があるはずなのに、対策会議に3分とか6分とかで退席(その後、経済人との会食3時間)する総理とか(後援会への出席のための)大臣欠席など、国家的優先順位の判断ができない人たちが、「国益」を標榜する内閣を構成しているということになります。もともと日本は「人権」の意識も知識も極端に低い国ですが、まさに政府がそれを「自然体で」立証しているという、前時代的な情けなさが目につきます。
但、翻って考えてみるとそれは全て私たちの責任ですね。そういう人を選び、そういう政府を今も支持し続けています。但、但、但、それも長期間繰り返された「悪い意味での」教育効果。例えば「個性を伸ばす」というスローガンの下での、「期待される人間像」と「協調性」との矛盾。「批判・批評」と「非難」の区別のできない先生、教育委員会、政治家の存在。「表現の自由」の、「自由」の意味を(できるだけ)小さく限定し、老人(的)にしか理解できない表現を十把一絡げに「わがまま」と見てしまう、私たちの「振幅の極めて小さな」社会。啊。何だか、道を踏みはずすまいとして、かえって道を閉ざしてしまったような。想想看、マスクには「呼吸を制限する」機能もあるのでしたね。

