
寄せては返す「波」。「反復」と、寄せる(返す)「幅」の2つがセット。ただの反復や幅という、「一次元」では波の要件を満たせない。一定の時間間隔(長さと時間)とズレ?幅を繰り返すという、三次元以上になって、はじめて「波」になる。展覧会場などにいると、さっぱり人の来ない時の少し後に、今度は続けざまに人が来てうっかり対応しきれない、そんな「粗密の波」を毎回経験する(ガラガラは何度も経験しているが、人が入りっぱなしというのは経験したことがな~い)。―「波」とは少しニュアンスが異なるが、ビジネスでも、潮が満ちる(引く)ように、という状況を見聞きすることもある。
「体調の波」というのもある。“絶好調”はいつまでも続かない(不調は続くかも?)。多くの人もたぶんそうだろうが、頭が調子良い時と、身体の調子とが“ねじれ”ることがままある。寝不足で疲れも溜まっている―そんな、一見逆波(さかなみ)的な時に限ってスルスルっといい感じで絵が出来てしまうときは、タイムマシンに乗っている時なんだろうか。
話は75度くらい変わるが、人や団体(会社とか?)にも「好不調の波」がある(わたし自身は会社勤めをしたことがないので、その関係のことは「見聞の範囲内」)。わたしはフリーランスの生き方だから、その波がどういう類のものであろうと自力で乗り切らざるを得ないのだが、(自分にとって)新しいことを始めるのには、その「波の質」を見極めることが必要だ、という気がする。
「2021東京オリンピック」では「サーフィン」も種目になった。出場選手たちにとっては、これこそ究極の「波」だったに違いない。種目に選定されるのも「世論」の「波」。当日自分に与えられる(物理的な)波は「運命」の「波」。波に翻弄され続ける選手たちを尻目に、IOCだけはボロ儲け(アッ!これは、触れてはいけない話題だったかも?)、の波があからさまだった。それになびいたマスコミも「波を読」んだのだろうと思う。