Bókasafnið er ekki opið

Apple í bókinni (Nám, CG)

2020Frá lok desember 2019、Héraðsbókasöfnum og annarri aðstöðu hefur verið lokað í langan tíma.。„Ekki nauðsynlegt“ er notað að óþörfu.、Bókasafnið er líklega ekki nauðsynlegt markmið.。

Fólk sem vill fá lánaðan bækur er raðað upp á bókasafninu、Ég hef aldrei séð sjón milli bókahillunnar og fólksins er pakkað eins og pendlalest ennþá。Svo að minnsta kosti "Sansuki (þrír talsmenn Koike seðlabankastjóra Tókýó).、Virkilega kjánalegt skammstafanir = innsiglað、Ákafur、„Það má ekki vera ástæðan fyrir lokuninni.。Ef það er almenningsbókasafn sem hefur verið lokað vegna miso、Þetta er mjög menningarsvæði og þú getur í raun verið stoltur af því (þó að áður en safnið lokaði var það útvarpað grunsamlega í byggingunni með grímum, fjarlægð og um klukkutíma).。

Sumo er að nálgast endann。Það er staður þar sem þrír efstu eru fjarverandi, en það er engin spenna.、それでもチケット購入の抽選に受かった5000人の入場者が国技館に集まっている私は大相撲ファンの一人でもあるが正直なところ、5000人の根拠はよく分からないし三蜜でない(朝の)通勤電車があるとも思えないそれでも問題視されないのは、Vegna þess að það er mikilvægt fyrir lífið、Það er það sem það þýðir。Skemmtun er nauðsynleg fyrir fólk。Svo sumo er góður。Ég er sammála því。In、„Þekking og hugsanir、Menntun er „óþörf“ fyrir daglegt líf。Ég sé。

Vissulega、少なくとも自民党国会議員にとっては「知識」「思索・教養」は不要不急どころか「禁止」にしたい「敵」なのだろう菅首相の「学術会議会員任命拒否」は実に馬鹿正直なほどそのことを表している彼らが求める「知識」や「思索・教養」とはもっぱら経済活動(簡単に言えば会社のため)を進めるためであり「思索・教養」とは「黙って指示に従う」従順さと「長い物には巻かれろ」という思考停止状態を「社会のために役立つ」と勘違いさせることなのだろう

そう考えれば図書館休館が長引くことはよ~く理解できるできることなら「不要不急」の耐震診断とかやって壊してしまいたいのが本音かもしれない。En、そんなことをしているようでは日本の未来など没落以外の想像はできない「ステイ・ホーム」のいまこそ「温故知新」新しい知識や考え方深い思索を育くむチャンスだろうしそれなくして「コロナ後」など老害地獄にしかならないだろう公立図書館があまり活用されていないのは確かだがだから休館しても大したことはないと思っているなら大間違いだ。Frekar、こんな大事なタイミングでなぜ利用価値が見直されないのかそもそもなぜ図書館があるのかを考えることは重要なことだと思う生死を分ける「医療」と同列だとまでは言わないがGO TOトラベルや何とかイートの比ではない、Ég held það。

不要不急―2

「黄色の中の黄色の Apple」(Nám:CG)

2020東京オリンピックが延期になり、2021の8月に開催される予定も中止せざるを得ず、2032年立候補を考えている」と英タイムズが報じた政府はやっきになって否定したが検討していることはおそらく事実だろう(日本のマスコミがこれを報道できなかった理由はなんでしょう?)

もういい加減に世界中にごまかしをばら撒くのはやめたほうがいい政府はやたらと「安全安心」も付け加えるがこの情勢でそんな言葉を使うこと自体世界からの不信感を増すだけだかと思えばすぐに「無観客での開催も検討中」とこれは公表したなんで「安全安心」なのに「無観客」なのかその論理の非常識さは幼稚園の幼児でもわかる

オリンピックこそ「不要不急」の代名詞だ。Ósammála、不要不急どころかいまやってはならないと国民の7割がアンケートにそう答えている「人類がコロナを克服した証としての開催」だって(LOL)、ちゃんと克服してからやればよいだけのことで悪い冗談を通り越して不愉快である。En、「2021東京オリンピック」は不要でもスポーツが不要だというのではないむしろ逆でこんな時だからこそどうやってスポーツを生活の中に普及させるられるかじっくり考えてみるいい機会だと思う

選手は気の毒だ彼らの努力が並大抵のものではないのは誰でも知っている。Þess vegna、きちんと中止だと伝えるべきだしオリンピックだけがメダルだけが選手のゴールではない社会環境をこのタイミングだからこそ作っていくべきだと思う。Á sama hátt、芸術・文化も不要不急のものではないことをこういう時だからこそ考えるべきだと思うまるでステイホーム=テレワークだけが推奨されているかのような状況だがステイホーム=クリエイティブ・シンキングこそ大事だと思う