miðnætti、Að breyta myndbandi

ビデオ撮影中

11月29日中にこのブログをアップロードしたかったが疲れて沈没してしまったポインセチアの制作ビデオを編集している途中だったわたしは(撮影にももたもたするが)ビデオ編集にすごい時間がかかる凝っているのでも慎重なのでもなく単純に「知識不足」のせいで

「青いカモメの絵画教室」チャンネルには38本もの動画がアップされているがいわゆる「動画」らしい動画はまだ10本程度それも古いのが6月頃からで大半が今年の8月以降ようするに最近になってやっとそれが作れるようになったしかも曲がりなりにも作れるようになっただけでちゃんと理解できているわけでは全然ない

動画を作るには①撮影→カメラの知識・操作能力②編集→編集ソフトの知識・操作ナレーション等の言語能力BGMなどの音楽的素養③アップ→メディア関連の基本知識 等々が不可欠だがどれをとっても「不足」だらけここにはないがこれらの能力以前に何をやるべきかを考える企画能力が要るこれも??が点く一人での動画では作者=俳優(声優)でもあることが必要だがこれも???だそして計画性も✕

はっきり言って失格というより「不合格」じぶんでもかなりめげるがそれでも応援してくれるのが視聴者誰が見てくれているのか顔も分からないが最近はチャンネル全体で毎日150回(人?)以上の視聴があるそしてビデオのためのデモ制作を支えてくれる教室のメンバーたちこれらの人たちの期待?に応えたい気づけばそれがモチベーションになっているのである

反省を吹く

Autumn trumpet 水彩

「反省」をする時期になってきた嫌だなあ。12月が近くなってくると一年の反省を強いられる気分になって帳尻合わせのためについ頑張ろうとしてしまうそして当然のようにその結果はたいていろくなことにならない

そもそも1ヶ月でつじつまがあうくらいなら他の11カ月は何をやっているんだということになる悪い商習慣が巷を混乱させているともいえるのだがすでにそれが身体に染みこんでいてじっとしていると尻がこそばゆくなってしまう嫌だなあ

13月というのがあれば、12月はずっと気楽になるそういう意味なのかひところ「13月」という語が詩や詞のなかで使われた時代があるあるいは12月と1月のあいだの空白感を詩的に謳ったものだったのかいずれにせよ当時はなんとなく別空間ロマンチック感が漂ったものだったが今はほぼ見当たらないのが時代の変化ということなのだろう

1月はどうだろう逆にポカーンと冬空に一辺の白い雲みたいな気分や新しさでキラキラした気分を醸し出そうとマスコミも躍起になるそしてこれまたそれに釣られてわたしたちも浮足立ってしまうこれじゃまるで自分というものが無いではないか―よしっ今年の年末年始は世間に惑わされずしっかりやるべきことをやるぞ―ととっくに世間から見放された老人が一人無人島でほざいているようです中継終わります次どうぞ

サービス

                アリスの秋(水彩) ※11/06に制作中の絵があります

サービスといえば提供する・奉仕するという類の意味でその対象はたいてい他人に対してアトランタ五輪・マラソン銀の有森裕子選手の「自分で自分を褒めてあげたい」は名言だがそれは逆説的にそれだけ自分に厳しくしたという意味だから自分へのサービスということにはならない

「情けは人の為ならず」これを他人への同情は禁物という真逆に解釈する人がたまにいるらしいがもともと「人に情けをかけなさい」という意味で他人にかけた(つもりの)情けは結局自分自身にかけたものなんですよということだやや世知辛くもあるが流行語にもなった「おもてなし」の拝金主義を裏返したような言い方よりこちらの方がずっとサービスの精神に近い

ちょっと脱線したが最近になって「世の中・社会=サービス」だということを感じ始めた(あまりにも遅すぎる?)ただしサービス=相応の対価という意味だけではないもう少し広く精神的なもの(無意識的なものまで含めて)まで含めたい西欧社会ではギブアンドテイクが徹底しているらしいがまずギブ=サービスをテイクより先にすることが重要であるケチな人が嫌われるのはそういう思想が底辺にあるからに違いない人に目を向けること(冷たい目でさえも)=サービス人と(できるだけ)争わないことそれもサービスモノや好意とは限らない

サービスがあればそれを受け入れることも一つのサービスであり得るだから「わがまま」は時にはサービスの拒絶サービス精神の欠如ということになろうかじぶんではサービスだと思うことも時には押しつけになりかねないなかなか難しいものだなあと思うことが多くなってきた