パソコンで描く―2

ROSE

パソコンでどんな絵が描けるか―こんな絵が描ける写真を撮って背景をある程度消しその上に水彩油彩コンテなどのアプリで描く匂いもしないし手も汚れない失敗してもすぐ復元できる何枚でもコピーして一部分だけ別なことをすることもできる

写真を撮ってプリントしそれを切りぬいて貼り付けるあるいは写真を貼って背景をどんな方法でか消してしまうその上にジェッソ下地を塗るなどして水彩油彩などでさらに描きこむ近くのコンビニへ走って行き息を切らして何枚かのコピーを取ってくるテレピンの匂いで家族の目が次第に冷たくなるのに気づかぬふりをしながら失敗作をこっそりゴミ箱に捨てていくそれぞれにコストがかかっている―そのようにしてパソコンを使わずにこれまでやってきた

パソコンで描く絵がつまらないかどうかは結局好みの問題になるだろう私自身は実際の材料を使うのもパソコンで描くのもどちらも面白いただパソコンは水彩か油彩かという比べ方とは根本的に次元の違うものであることは確かだ今のところはまだうまく言えないが感覚的にはパソコンを使ったからといって色や線の好みやモチーフに対する視点が変わるわけではない。Բայց、もっと大きな何かが違うしいて言えばできることの可能性の大きさが違うという感じかな

若い人ならともかくいまさらパソコンで描くなんてこれまでの修練は何だったのだ・・・人にも言われ自分でもずいぶん考えた考えながらどれもやめず少しずつやってきたチャレンジといえば聞こえはいいがその先に底知れない怖さを感じることもあるでもやるしかないし今しかないと思っている

Կյանքն ու մահը բաժանող լեռնաշղթան

Ալպինիստ Ուելի Ստեկը ապրում է մինչև իր մահը Էվերեստ լեռան վրա 40 տարեկանում、Ես տեսա առցանց շվեյցարական հեռարձակողի խմբագրածի մի մասը。«Կյանքն ու մահը բաժանող լեռնաշղթա» վերնագիրն է。

«Եթե ուրիշ մարդիկ տեսնեն ինձ、Կասեն, որ նա գիժ է»:。նա ինքն է այդպես ասել、մեկ լեռան մեջ、Ընկնող քարը հարվածեց գլխիս և ընկա 200 մ.、Երկրորդ անգամ ընկերոջը կորցնելը բարձրության հիվանդության պատճառով。Երկու անգամ քաշվելիս ասելով «Այս սարն ինձ չի պատկանում»、Վերջապես երրորդ անգամ մարտահրավեր。«Ես երբեք չեմ փորձել。«Գերմարդկային արագությամբ մագլցե՛ք տասնյակ դավաճանական ժայռեր、Երբ դա ասում ես գագաթնակետին ամենակարճ ժամանակում ռեկորդ սահմանելիս、Ի՞նչ նկատի ուներ «չփորձեց» ասելով։。

Եթե ​​մեկ սխալ քայլ անեք, վտանգավոր ձնառատ լեռնաշղթան ձեզ ուղիղ կհասցնի հովտի հատակը։、նա իրականում վազում է。«Մահվան սահելը միշտ կողքին է。Տեսանյութը ցույց է տալիս, որ դա նրա համար նույնպես ամենօրյա պրակտիկա է:。

Ապրելն ու մահը միանգամայն համահունչ են。պարզապես հազիվ、Կարծում եմ՝ ծայրահեղ էսթետիկա կա。

Shinsuke Fujisawa ցուցահանդես

「森の眷属(けんぞく)たち」木針金 藤沢伸介展)
画廊ウインドウに貼られた「切り紙」(奥の人物は作者ではありません)

毎年個展の案内を頂いても不義理がつづいたが下北沢での藤沢さんの個展に数年ぶりに行くことができた私にとって藤沢さんは「雲の上の人」である私だって美術の世界に足を踏み入れてもうすぐ50年になる少しくらい上手だとかユニークだとか世間にちやほやされるくらいのレベルには全然驚かないし羨ましいとも思わない。Բայց、彼の自由自在な感覚は一見手が届きそうなのに届かないつかめそうなのにつかめないまさに雲のように高い存在なのである

「森の眷属たち」公園かひょっとしたら誰の家の庭にでも落ちていそうな小枝のきれっぱしがひとつの世界を語っているのではなく藤澤さんが消え入りそうな存在の彼らに新しいいのちを吹き込んで語るべきステージをつくったように私には見えるそのような彼に小枝たちはいとも気安く語りかける―そう書けば「ああそういう世界ね」と知ったかぶりをする輩が必ずいるけれど彼の小刀はそういう奴らの鼻を明かすくらいは余裕の熟練度だ清少納言だったか「切れすぎる小刀は」良くないと言っているが彼の小刀はボキッと自然に折れたところまでは削らない心憎い抑制を知っているセンスなのだ

もうひとつ感心したのはウインドウに「(無造作に)貼り付けられた(半透明の)切り紙」(写真下)私は高村光太郎の妻智恵子の切り紙を畏敬しているがそのような冴えを見せているにも拘わらず(技術的にはそれ以上)それらはおそらくほとんどの来廊者には「展示外」扱いに見えるだろう「分る人には分かるだろ」という作者の無言の実は決して「無造作」ではないひとつの挑戦なのだろう「風神雷神」「鳥獣戯画」「猿蟹合戦」などを動画で見るような切り紙(あえて「切り絵」とは呼ばないでおく)はあんがい彼の真骨頂なのかもしれないぜひ注意深く見てほしい

こっそり奥様に聞いたところによると(初めてお目にかかったが)最初は水彩画だけでやりたかったとかそういう意味では今回は余分なところにばかり眼を惹かれてしまったがまだ青年のような彼のことだからいずれ瞠目すべき水彩画が描かれるに違いない

Gallery HANA galleryhana2006@gmail.com (11月10日まで)