當「書畫」變成一幅畫的那一刻

   習作 「赤い実」   水彩

「カーテン」の習作を何枚か描いたうちの一枚あとから思いついて小さな赤い実を描き加えてみたとっさの思いつきだから具体的な植物名など考えてない単なるイマジネーションに過ぎないが後から考えるときっとハマナスのイメージが閃いたんだろうなと思う

窓の向こうは道の一部のようにも見えるむこうから誰かが歩いてくればドラマが始まりそうだカーテンのドレープの下からこっちに歩いてくる人物の脚を描いたらどうだろうあるいは赤い実を摘んでいそうな子どものかがんだ姿勢などが見えたとしたら それがただの習作が「絵になる瞬間」かもしれませんね

是的, 我是老派.

「ポインセチアー窓際の2鉢」  水彩

教室用のモチーフ年末恒例のポインセチアも少しずつ飽きられてきたとはいえ前にも記事にしたことがあるがポインセチアは一見簡単そうに見えて実は色もかたちもかなり強力に手ごわい相手であるそういうことを教室の人たちもすでに知り抜いていて「敬して疎遠」やや「猫跨ぎ」という気分なのかもしれないもちろんポインセチアにも教室の人にも罪はない

罪はないけれどこのまま萎れさせるにはちょっと勿体無いせめてわたしも一枚くらいは描かなくちゃという「もったいない精神」で描いてみた

これ2鉢だから絵になっているんですよ解ります?この感覚一鉢じゃ “ただのスケッチ” になってしまう“ただのスケッチ” って何ですかって追及しないで欲しいんだけど要するに「絵画性」が増すってことです・・・ってどういうことですかというのに答えると毎回論文書く(のと同じ)ことになるので要するにワタシの感覚ではとだけ言っておきましょうでもそれ古い感覚でしょと土俵際まで押し込まれれば、 是的, I am old-fashioned. と開き直るしかありませんそのうえちょっとケチかも(^-^;

アーティストの時代

「一週間で編集アップロード」にチャレンジしてみました

日本はドイツとともに世界で最初に「資本主義を卒業する」国になる(可能性がある)と予測する学者たちがいる経済学説で有名なケインズがすでに1930年に資本主義は一つの過渡期でありやがては経済成長のない社会すべてのインフラが整い豊かではあるが利益主義ではないお金に大きな意味のない社会になると予測しているのだそうだ経済学者の水野和夫氏の談をラジオで聴いた

氏によると現在のところそれに当てはまりそうな国は日本とドイツだけらしいということは日本はアメリカ経済の尻ばかり追いかけているのではなく自ら新しいビジョンを構築していかなくてはならないということになる

水野氏はそういう社会での3つのビジョン?を挙げていた①近い ②ゆっくり ③寛容 の3つ①近いというのは少しわかりにくいが要するに資本主義社会では「より遠くまでより早くよりたくさん」が価値観でありそのための「競争」が前提だったが資本主義卒業後の社会では「身近なところでゆっくり優しく生きる」ことが柱になるということのようだ

それはまさに現代のアーティストの生き方そのものではないか資本主義の社会ではアーティストは生きにくい(帝国主義独裁体制では論外)かつては(あるいは今も)アーティスト=貧乏が世の常識だったきわめて少しずつではあるがアートの価値観が増しつつあると感じられるようになってきたのはそういう社会が次第に現実化してきたことの証かもしれない
 資本主義の一つの断末魔それが今やあらゆるところで起きそれらが繋がり始めているのが戦争というかたちなのだろうか「核戦争でリセット」なんてのは痛ましすぎる