重新考慮“再現性”

湖池屋ポテトチップスを描く(油彩)

ここのところ急にポテトチップスだのチョコレートだのと「お菓子」づいている「伝統的な『絵画モチーフ』以外」を描くことで画題的にも技術的にもあらたな発見を求めようとしているがこれもその一環。這次、モチーフはそれぞれ異なるがどのクラスにも同じコンセプトを強いているどのクラスの分もデモ制作しようと考えたら毎日 のようにデモ関連の制作を続ける羽目になってしまった

一番勉強になるのはモチーフを強いているわたし自身だろうモチーフ探しの場所もこれまでと180° 違い近所のいくつかのスーパーだのコンビニだのを回るようになったCGでも写実というより写真的な「技術性」を求めて制作を試みている

写真的描写=上手というだけの低レベルの常識を変えたいという思いからこれまではあえて細かい描写性を遠ざけてきた。但、そのことが逆に「伝統的な」絵画性にわたし自身を含めて縛りつけてしまったのかもしれないそんな反省から「イラスト」まで含めての絵画「再発見」と現実的な「技術的」観点からあえて写真的描写にフォーカスしている

「再現性」に対する人間の欲求はとてつもなく強い学者の意見を聞くまでもなくビデオだの音楽におけるレコードだのを考えるだけで簡単に想像がつく再現性に対して「即興的・抽象的イメージ」があるが「論理性」に目を向けると「再現性」に関する人間の執拗なまでの努力の歴史が浮かび上がってくるこれを単に「つまらない・面白くない」というだけでは皮相に過ぎるだろう。超越喜歡與不喜歡、もう一度向き合いなおす機会でもあると考えている

訓練-繪製巧克力派

繪製 Chateraise 巧克力派

我今天也畫了7小時昨天的「巧克力派」。、終於完成了。差不多2天了。我在脖子上貼了消炎膠帶。。我的眼睛也模糊了。因為我們只是看著同樣的距離、當我離開辦公桌時,我突然無法集中註意力。。

當我做完之後,我才發現自己做了很多無用的事情。。這也得益於CG中經常使用的被稱為「圖層」的記錄儲存功能。。當我回顧這一點時,我可以清楚地看到工作被浪費在哪裡。。我需要能夠更有效地繪圖。畫畫的時候,如果做了不必要的事情,顏色就會變得混濁。、人們常說這句話,但這可能是真的。。這是用CG繪製的、有時我會在腦子裡做水彩計算。、為油畫做計算、整個製作過程我都感到很困惑。。因為CG是要在顯示器上看的。、如果有的話,最好進行水彩計算。、由於某些原因,我混入了油畫的計算。。

「水彩」的計算意思是「看透紙張的白度」。。換句話說、如果先用深色顏料降低紙張的亮度、這意味著接下來的顯色會更差。。就油畫而言,“深色使明亮的顏色成為可能”。所以、水彩畫和油畫表達鮮豔色彩的概念是完全相反的。。顯示器根據背光的亮度看到顏色。、如果您首先在螢幕上使用深色、頂部美麗的顏色“吸收”了下面的黑暗。。——油畫就是這樣。、使用“透明技術”。首先,將你想要看起來漂亮的顏色的「底部」變成「白色」。。當白色乾了之後、由於某種原因,透過使其透明來將所需的顏色放在其頂部、我的印像是即使是CG也會使用這種技巧。。一種の“ボケ”かなと思う

但、とりあえず終了できたのは !(^^)! 。我畫完後仔細一看,裡面有6個派。、300日元左右嗎?我想我是在。如果是送給女朋友的聖誕禮物,也太便宜了吧!。但、如果你回頭想想、如果你工作整整兩天,你至少可以到達這個國家的任何地方。 15000 當它變成一個圓圈時、此圖片的單價為 0 圓圈”。這就是「藝術家的(永恆的)訓練」嗎?。

「CG草圖」的(反向)效果

シャトレーゼのチョコパイを描く(制作中)

今日は一日中この2~300円台のチョコパイにかかりきりここまでで半分くらいまで来たかどうか(CGの)手描きでできるだけ自分の眼で見たまま描くことが最近のこの“お菓子シリーズ”?のコンセプト透明フィルムの包み紙の反射が目を傷め「座りっぱなし」が脚の血流を悪くして睡眠障害を引き起こすのは解っているがそれがフィルムの透明感の表現に必要だと思うからどうしようもない

手描きCGというのも変な言い方だが紙と鉛筆絵の具はCGだがたとえば直線を描くツールやグラデーションをきれいに処理してくれるツールを使わないとか要するに「描画」に関しては「実在の筆や絵の具で再制作可能」なことを前提にするということ画像とその制作プロセスをデジタル情報として保存することだけを目的にしたCGによるスケッチをわたしは勝手にそう呼んでいる

CGだからうまく描けるということはある。第一的、「覆水を盆に返せる」一度こぼした水はもとに戻すことができないという文化人類学上数千年の「常識」をひっくり返して失敗した線や色を簡単に完ぺきに消すことができるいったん消した線を数日(年でも)後完ぺきに復活することなど「常識」だ他にもいろいろ有利な点はある。但、根本的にデッサンができない人が CGならデッサンができるようになるという「魔法」はないデッサン力は単なる描写力ではなく観察力などを広く含む「総合力」だからである絵は写真を下敷きに描けばデッサンが正確だとかそういう次元で済むものではないのである

但、たぶんCGで描く意味はそういう次元にとどまらない描いている自分自身でさえ気づかないところにより大きな意味があるだろうと感じるがそれが何かは今のところ自分でも判らない。1年前はCGで描くのが面倒で億劫スケッチブックに描く方が(慣れているぶん)何倍も効率が良かった。然而、今は完全にiPadがスケッチブック代わりiPadに限らないが油絵や水彩同様CGであろうと描き方塗り方の順序を変えると難しくなったり簡単になったりするから時々実際に自分の「手」で描いているような錯覚に陥るそれが生きている感覚に与える影響は些細に見えてたぶん「小さくない」

「CGの方が良い」と受け取ってはいけない実作の大きな利点は「失敗する」ことCGでの失敗は数秒でリカバリーできる。但、実作ではそうはいかない失敗することで脳だけでなく全身が活性化するそこが「魅力」だと解るようになったのはCGスケッチの効果だ、我認為。人が「失敗から学ぶ動物」ならば「失敗しないCG」はわたしたちを退化させる“絶好の道具”になるかも知れないですね(CGそのものはまったく否定していませんよ。萬一)。