銀座

 

銀座のショーウィンドウから

ここ3週間ばかり頻繁に銀座へ行く個展グループ展往復の移動時間がバカにならないので一度に3つか4つ位は廻らないと仕事でもないのに毎日銀座通いになってしまう

銀座での展覧会は多少義理絡みでないこともないが無駄ではないそれなりに作品を見たいと思わせてくれる作家にしか義理を感じないという鈍感さも持ち合わせているせいか何がしかこちらに刺激というお土産を持たせてくれる東京といえどなかなかそうしたレベルは保てないが銀座ではそれが「普通」その意味では銀座は効率がいいと言える

銀座といえば「虚飾」のイメージがずっと以前は私にもあった。但、新宿などにくらべれば銀座はずっと「素顔」で「素直」な街だと最近は思う少なくとも個展をやっている画家たちの殆どは想像されるより皆ずっとずっと「素顔」で「素直」だ。更確切地說、そうでなければ長くは続かない

但、画家とかいう連中はみな少しネジが緩むかずれていてしかもそれを自覚できない人が殆どなのでそういったことが解るまではどこか別次元の世界のように感じる人もいるかも知れない確かに街全体が少しばかりネジがずれた街かも知れないそのズレこそ新しい世界への隙間なのに違いない

自分に帰る

「モデル」 水彩 F10

とうとう12月しばらく制作途中の絵から離れていた。1週間も遠ざかるとまるで絵の神経が切れてしまったかのように感じる描きかけの絵を一日中呆然と眺めるばかりで線一本さえ加筆することができない

やがて感覚が少しずつ戻りはじめ翌日くらいからやっと「自分」が帰ってくる

スタイル

制作中

絵画の世界では「これが私のスタイルです」を確立するまでが苦労でいったんスタイル=画風を確立さえすれば「これが私だ!」で自分も世間もそれで認める認められることになるようだ作家は皆必死で自分のスタイルを探し求め模倣し作っては壊して独自のスタイルを作りあげその努力を世は賞賛するというストーリーになっているらしい

確かに一朝一夕でスタイルは確立しない画家のあらゆる試みあらゆる感性や長い間に培われた絵画思想といったものがそこには詰め込まれている。這就是為什麼、スタイルを確立するということはその氷山の一角をついに水面上に出すということであってやはり賞賛に値するものだ

けれど一方で画家のスタイルは(比較していいのか迷うが)会社のロゴみたいなものだと考える人も少なくないロゴとはようするにブランドでありシンボルである大事なのはそれを生み出した人とその製品の内容であってロゴそのものに意味があるわけではない

ロゴやブランドが尊重されるのはビジネスの上でその品質が保証されてきたという実績があるからだブランドを汚すという言葉はその実績=品質保証を疑わせる製品を世に出すという意味だつまりブランドと中身は常に一致していなければならないということそれは同じレベルのものを作り続けるというだけでなく一方で常に進化・深化し続けることでもある社会環境の方が変化するからである

這就是為什麼、「これが私のスタイルです」と画家がいう時(そんなことを言うはずもないが)それは外側から見た「画風」の意味だけであるはずはない「私のスタイル」とは常に変化しかつ動じずということだろうそしてそれはたぶん一般の人が「スタイル」という言葉に持つイメージとは随分違った中身になるに違いない