世界のニュースにちょっと耳を立てると、ウクライナ戦争、Cuộc xâm lược Gaza của Israel、イランとの戦争開始以外にも恐ろしい出来事に溢れている。備蓄米やコメの値段がどうのこうのというレベルなど、平和の中の小さなさざ波のようなものかもしれない。Nhưng、それが死活問題になる人や企業もあれば、学校給食のような育ち盛りにまで影響を与えているのも事実である。 今や世界はあらゆるところで繋がっていて、「風が吹けば桶屋が儲かる」式の、戦争への無償支援かと思えばそれが実は膨大な利益になっていたり、時には微妙、時には露骨な関係で結ばれている。Nhưng、もとをたどっていけば、要するに前時代的な「力づく」「暴力主義」から人間が一歩も進めなかった世界、とも言えそうだ。
Điều đó đang được nói、小さいなりにでも自分の出来ることは、できるだけやっていくしかない。できることも人それぞれ、関り方もケースバイケース、それが無駄なのか、回り廻って最強効果になるのかは、もう誰にも分からない。まずは目の前の、こんな安全な場所でスケッチできることの「奇跡」を、一秒でも長く、一人でも多く共有していくことが大切だと感じる日々。
その分を自転車で補おうと、そこから千葉県野田市の関宿城へ行ってみた。初めて行った時は結構距離があると感じたけれど(片道10kmそこそこなのに)、何度も行くうちに「ちょっとそこまで」感覚になってきた。thật sự、走ってみると物足りないほどすぐ着いてしまう。車は来ない、道は広いし、風も気持ちいいから近所のスーパーマーケットへ行くより気が楽かも、là。眼も良くなるような気さえしてくる。ヒバリの声が頭から降ってくる。残念なのは、単純過ぎてすぐ飽きてしまうこと。về những suy nghĩ thứ hai、なにかしら小さな課題を見つけたくなる。