

今朝は温かい朝を迎えた。生温かいと言った方が実感。先日近くの公園へ行ってみたら、早咲きの桜はたくさん咲いていて、「本家」のソメイヨシノもうっすらとピンクを帯びていた。もう開花間近だ。
皿洗いなどすると「水温む」という、俳句の春の季語を実感する。「卒業(式)」も「入学(式)」も春の季語だ。同じく「新(入)社員」も春の季語。人生の節目になるかもしれない時期を迎えた人も多いだろう。こんなのんびりした気分で出て行ける世の中になって欲しいと願う。


今朝は温かい朝を迎えた。生温かいと言った方が実感。先日近くの公園へ行ってみたら、早咲きの桜はたくさん咲いていて、「本家」のソメイヨシノもうっすらとピンクを帯びていた。もう開花間近だ。
皿洗いなどすると「水温む」という、俳句の春の季語を実感する。「卒業(式)」も「入学(式)」も春の季語だ。同じく「新(入)社員」も春の季語。人生の節目になるかもしれない時期を迎えた人も多いだろう。こんなのんびりした気分で出て行ける世の中になって欲しいと願う。

早いところではぼちぼち、「寒ざくら」ではない普通の桜も咲き始めているらしい。当地は桜の名所として毎年NHKなどで紹介されるが。今のところは梅が早春を謳歌している最中。桜の出番はもう2週間くらい後になるだろうか。
桜を「間接的に」描いてみた。正面からではなく、「側面」から。「桜」は西洋画スタイルの絵画制作者にとっては、かなりハードルの高い題材だ、tôi nghĩ。描いてみると解るが、画面全体にぼーっとしたピンクの綿飴が散らばっているようにしか描きようがないから。
日本画家にとっての「桜」は必修科目であり、見方、表現法から評価・鑑賞の仕方まで、徹底的に考え抜かれ、制度化されて、日本人の心や記憶の中に深く染み込んでいる。描く側にも見る側にもしっかりとチャンネルが設定されているから、まるで子どもが「名作絵本」を母親に読んでもらうかのような安心感がある。そうした土壌の上にすっくと育ちのいい「名作」は存在しやすい。Nhưng、「洋画」には素材的にも断絶があり、従って、わたしの知る限り、洋画においては誰でもが知っているような桜の名作と言えるものがなさそうなのは、それが理由だと思う。。
Vì thế、縷々弁解がましいことを述べたうえで、桜を間接的に表現することにした。どこかのロビーに腰かけている数人の人々。その背後の庭か公園に桜が満開、というイメージ。ガラス一枚隔てただけの空間だが、直接には手の届かない空間でもある。
この中で案外手間ひまがかかるのが「椅子」。備え付けの同じ椅子でなくてはならないし、同じ角度だけでは平板になってしまう。ベタッとした長椅子なら手間は省けるが、視覚的に面白くない、など結果として椅子の下描きにかなりの時間を費やした。主題である桜は数分。サッサッと済ました。



気象庁によると、今日は全国的に気温が四月上旬から下旬並みに高くなるらしい。積雪の多い地方では屋根からの落雪、山間部では雪崩に注意が必要だ(富山県に融雪注意報)。関東では日差しが暖かく、俳句の春(仲春、3月頃)の季語「水温む」にぴったりという一日になりそうだ。(上の風景写真は午前8時頃撮影)
ミラノ・コルチナオリンピックもたけなわ。日本選手のメダル数が各国の注目を浴びているらしいが、メダルの数より、表彰式でも、競技中でも、その外でも日本選手たちの振舞いが紳士的、人間的で、そちらも注目されているらしいことの方が嬉しい。
冬季オリンピックが面白いと思うのは、夏のオリンピックと違い、人間以外の動物がそれをやらないこと。つまり本当の意味で「人間」だけの遊びがあるから。
たとえば陸上競技100m走。世界記録で走っても、カバにさえ負ける(カバの全速力は40~50km/h だと言われている)。ダチョウは時速70~90㎞ で何時間も走り続けるられ、それが日常生活の一部である。Theo nghĩa đó、オリンピックで「世界最速」といってもなあ、という気持がどこかにある。人間のドラマとして、陸上、水泳の100mは、わたしの必ず見たい種目の一つではあるけれど。
冬季オリンピックはそもそも雪や氷の上を滑る。ペンギンやアザラシなども氷の上を滑り降りたりするけれど、くねくね曲がったり、くるくる回ったりなどしない。ましてやハーフパイプなどのように空中で回転するなど、他の動物にとってはやる意味がない。文字通りの意味での「スポーツ」の祭典ではないだろうか。
極めつけはカーリング。やや似ているのは、シャチが氷の上のアザラシを狙って、共同作業で波を起こすことくらいしか思いつかない。