
ポジティブ思考(嗜好かも)が、多くの人の深いところに沈潜して、ことあるごとに顔を出しては人を痛めつけることがある。わたし自身の中にもすっかり入り込んでいて、何か落ち込むようなことがあると、つい、「元気出さなきゃ」なんて無理してしまう。
いつもいつも明るく朗らかで、何にでも前向き、落ち込むこともなく、周りまで明るくする人。そんな、太陽みたいな人がかつてのテレビや漫画の主人公だったけれど、さすがに現代では、そんな間抜けた人間は主人公にはなれなくなった。
子どもは大きな夢を持たなくちゃダメだ。若い人は高い理想を持って世界に羽ばたかなくちゃいけない。ショボショボして、ちっぽけな自己満足などしているようじゃ(男の)クズだなんて堂々と人前で言う、恐ろしい時代があったけれど、そういう時代はもう過去のものになったんだろうか。そんなの余計なお世話だよ、って言える時代になっているんだろうか。そんなことはない。だってわたし自身がそう思っていた時があったし、今も心のどこかにそんな気持ちが残っているのが分かる。
子どもの頃、テレビを見るたびに「どうしてアメリカ(の白)人たちはあんなに明るいんだろう」と不思議だった。わたしの周りには誰もそんな人は居なかったが、テレビの中では大人も子供も皆活力に満ち、自由そうで、そしてやたらに誰にでもキスをしていたのだった(そういえば黒人たちのキスシーンは見た記憶がない)。
あの電灯のような明るさと、民主主義はどこかで繋がっている、そんな気がしていたが、そうではなかった。あのポジティブな明るさは高慢さそのものでもあったのだ。ウクライナ戦争とイスラエル戦争のアメリカの立ち位置がそれを示している。
負けないように強くなればいいのよ、ケチケチしてないで金持ちになればいいのよ、金持ちになれないのは努力が足りないからよ。そう言って、影と日なたを二分してきた人々の国、あの明るさに憧れてきたんだなあと、今さらに思うよ。