Ալիքները բարձրանում են

Ալիքային շաղ տալու արտահայտությունը կատարվում է CG- ի միջոցով (արտադրության տակ)

Ալիքները կանգնած են ձեր առջեւ
Որքան ավելի շատ եմ փնտրում, այնքան ավելի շատ համընկնում եմ
Քամին փչում է այնտեղից
Մեկ այլ քայլ
Ալիքները համընկնում են

Ոչ մի դռներ կամ պատուհաններ արդեն
Նախքան ես դա իմանալը, ես քայլում էի դեպի ալիքները
Ջրի մեջ մինչեւ ծնկներ

Ես այլեւս չեմ կարող հետ կանգնել
Բայց、Ես այլեւս չեմ կարող շարունակել
Ալիքները դառնում են ավելի ու ավելի բարձր
Նայելով ինձ

Առայժմ、Ես լվանում եմ ձեռքերս
Լվացեք ձեր դեմքը、Ականջներ、Լվացեք ձեր աչքերը
そうして波の中へはいっていく

առավոտ、目覚めにこんな詩が浮かんだのでメモをしておいたもの

長い息をしよう

ブログでは絵に関わる楽しい話題を書きたいといつも思っています本当よ。Բայց、なんだかいつも真逆の結果になっていることが多いような気がするなんでだろう現実に楽しいことより気が重いことのほうが多いのかもしれないがそれでも何とか楽しい話題を見つけて共有したい本当にそう思ってふだんから探しているんですが

この動画のサムネイル(動画の看板クリックする前に見る画像のこと)を見てくださいなんてダサいんでしょう!自分でも嫌になるけれど正直どうしたらいいのかまだわからないんですこういう感じでつい気が滅入ってしまうんですよね

Ոչ մի լավ、イカンそこから離れてもっと先を見なくっちゃ
 土曜日は撮影日日曜は朝から寝るまで編集と目標は掲げているけどナカナカ例えば今日(2023.04.15)新規の動画の全体部分ごとのテーマやモチーフを決め撮影するはずだったのについYouTubeで「撮影の基本」とか「トランジション(場面移行)のやり方」など見てしまうこれはこれでわたしには絶対必要な勉強だけれどそれで午前中の時間を遣い果たしてしまった日曜には庭木の枝切とかの家事が舞い込んできたりとか全然編集できない日もあって目標の「毎週1本のアップロード」が出来たのはたった1回だけそれが今回初めて、Ինչ。

そこを「やったー!イェーイ」と書けば“楽しい話題”になるのかもしれないけれど撮影は4月4日だったから、10日もかかっていることになるちょっと「イェーイ!」までは気分が追いつかない
 ああ、Ոչ մի լավ、イカンまた沈み始めてきた長距離を泳ぐ鯨のように水面に顔を出してたっぷり長い息をしなくっちゃ下を向いていると肺がしぼみ脳への酸素供給量が落ちる感じがする今日は雨だから家事は少なくて済みそうださあ頑張って撮影しよう

薔薇の「練習」

薔薇のデモ制作(水彩・F4)

今朝(2023.04.13)ラジオからJアラートの警報が全国に響き渡った「北朝鮮からの弾道ミサイルと思われる物体が北海道に向けて飛行中午前8時頃に北海道に落下する模様ただちに避難してください!」運転中だったが「頑丈な建物または地下鉄地下室などへ避難」と具体的だったので本当かと驚いた

Վերջում、岸田首相が「我が国の領域内に落下していないことは確認している」で終わり途中までは飛行物体は2個あるかのような発表もあったがそれもなかったことに

これは防衛予算を大幅アップしたことを国民に納得させるための(一部)フェイクニュースではないかと疑った。Անցած մի քանի օրերը、盛んに報道されている陸自の幹部を乗せたヘリコプターが墜落した事故についても一時は「中国軍云々」の話も出ていくらなんでもそれはないだろうと思ったがその時もその話の出どころは防衛予算絡みのところからではないかと想像した。 
 今回のミサイルに関する警報を防衛省が本当にそう信じていたのだとすればそれはそれで航跡の計算が実に幼稚なレベルにあることになり果たして「敵基地攻撃能力」など持たせていいものかと心配になる早まってありもしない攻撃に対して「反撃」し兼ねないからだ「ちょっとした間違い」では済まない恐ろしい話

薔薇のデモ制作薔薇を描く練習最近特に話題のチャットGPTなら「白っぽいピンクバラやわらかい感じ緑の葉の中に浮かぶように」などと話すとたちどころに数枚の薔薇の花を“描いて”くれるもう練習する必要などない少なくとも「描くこと自体が好きでないならば」絵を発表などする時代は終わってしまった技術の進歩は早いあと数年もしないうちにきっとそうなるだろうその時やっと「絵は自分自身のためだけに描くのだ」ということが実感されることだろう