「構図」の方が抽象的、かつ「文学的」だ。از همین رو、題名にはよく使われる。赤の構図、青の構図といえばすぐ小説などを思い浮かべるし、貧困の構図とか○○金脈の構図などと言えば、ノンフィクションやジャーナリズムを想像する。この場合の「構図」は、かなりムード的なもので、ほとんど具体性がない。絵画での「構図」ならもっと具体性がありそうなものだが、こうした流れを絵画も引きずっていて、せいぜい大雑把に数本の線を引いて、「対角線構図」だの「三角形構図」だのと役に立たないことを口走っているに過ぎない。
けれど「ゼラニウムの構成」と「ゼラニウムの構図」では、すくなくともこの絵では「ゼラニウムの構図」の方がいい、من فکر می کنم。先に述べた「文学性」と重なるところもあるが、「構図」には作者の主観性が滲みでているように感じるから。この絵では、モノの配置や板の並び方などわざと微妙な角度に「構成」している(水平線は一本もない!)。ولی、そういう論理的なものを越えて、画面というものに対する「わたしの主観・好み」といったものが漂っている。それを意図するならば、「構成」という言葉ではどうも包括しきれないような気がする。だから「ゼラニウムの構図」なのである。