2Վերջապես կարողացա վերբեռնել «Բացօթյա ուրվագիծ» տեսանյութը, որը ես երեկ անհանգստացել էի գրեթե մեկ ամիս (հունվարի 8-ին)。Ամանորի ընթացքում ես ալկոհոլ չեմ խմել (բայց խմել եմ)、Ես ոչ մի մոխի չէի կերել (չնայած ես նույնպես zoni եմ կերել) եւ վերջացա դա անել, քանի որ ես «տրամադրության մեջ էի»。Բովանդակությունն իսկապես միջակ է、Ոչինչ չկա հավաքելը、Անապարհին կային մի շարք խմբագրական սխալներ (գուցե այն պատճառով, որ ես ճնշված եմ):、Հաշտության գործընթացը、Իրականում դա առավել կրթական էր。Բայց、Օ Oh սիրելիս、Ես զգացի, որ իմ ուսերի վրա բեռ էի բարձրացրել. Մի օր էր: 。
Բայց、アップした途端に現実に還った。10日からはもうYouTubeじゃない、リアル「青いカモメの絵画教室」が始まる。何か適切なモチーフはないか・・・「適切なモチーフ」はもちろん一人ひとり異なるに決まっているが、物理的、時期的に入手不可能なものもたくさんあるから、とりあえず花や野菜、果物など画材に使えそうなものを探し始めた。
リンゴを描く人(たとえばわたしのような)が、必ずしも目の前にリンゴを置いて描くとは限らない。たとえばわたしの場合は、実物のリンゴが目の前に在ると「邪魔」である。わたしにとってリンゴは重要なモチーフではあるが、別にその物理的外観をなぞりたいわけではない。わたしにとって「内的で」「リンゴの許容(包容)力(を意味するカタチ)」だけが必要なのであって、そのあとは記号としての「リンゴというモノ」のままでいてくれる方が好ましいのである。
写真的写実を発表している画家たちの多くも、実はわたしと似たり寄ったりで、その人にとってのいわば真実を描こうとしているので、目の前の物理的(光学的)に見えるままを描こうとしているわけではないようだ。むしろそこからまったく離れているように見える中小の画家たちが「わたしの絵は写実です」ということが案外多いと聞けば、一般の人は驚くかもしれない。対象物と作者との関係は意外に面白いテーマで、小説家などが良く取り上げるだけでなく、ピカソなど執拗なほど「画家とモデル」という関係性自体を描いている。「具体的なモチーフ」=「描くべき対象」だと固まっている人、ある意味ではモチーフが「反面的に」あなたを描いていることがあるかもしれませんよ。
自分とモチーフとの関係について、ちょっと考えることがあっても楽しいかもね。