
大抵の場合、個人の部屋ではその人なりの趣味や、好みのようなものが、全体として感じられる。そこは単なる物理的な空間ではなく、その人自身に感覚づけられた、時には一種肉体的と言えるほど濃密な心理的空間でもある。Меню та віджети、普通はそこに他人の存在を許さない。
今は住んでいない、両親の部屋を片付けて感じるのは、そういう濃密さが全く無いことの異様さだ。例えば野外作業用の父のアノラックが、袖を広げたまま畳の上に広がっている。その上に帽子、軍手、靴下。さらにその上に別のアノラック、帽子、軍手。その上に丸められた母の肌着、カーディガン類と野外用防寒着のうず高い山。山小屋の物置ではなく、そこは夫婦の寝室なのだ。
一部屋しかない家ではなく、いくつも部屋のあるだだっ広い家に、父と母は二人だけで暮らしていた。父は山から帰って来たその足で寝室まで行き、そこでアノラックを脱ぎ捨て、汗だくのシャツをその上に放り、着替えを引っ張り出して、シャワーもせずにそれを着たまま居間に行ったのだろうか。母もまた、家の周りの草むしりから部屋へ直行し、その上に放るように野良着を積み重ねるだけだったのだろうか。父のアノラックは、剥がされた獣の皮のように広げられたまま、10枚も重なっていた。まるで、父が毎回そこに倒れこみ、身悶えしていたかのように。
玄関脇のコート掛けにもアノラック、防寒着が何枚も重ねて掛けられている。それぞれのポケットに、溢れるほどの100円ライター。全部で100個はあるだろう。たぶんライター置き場にしていたに違いない。汗で変色したままの、いくつもの帽子。絶対に使わない筈のものが捨てられない。新品のまま古くなろうとしていても、使おうとしない。死ぬまで使わなかった「古い新品」だらけ。それも衣類以外はほとんど貰い物だろうに(いや、衣類さえも)。父と母は、自分の好きなもの、好きなことに目を向ける勇気がなかったのかも知れない。電気毛布は6人分持っていた。