プラトーン的生活様式が復活?

公園の水飲み場

それまで体調の良さを謳歌していた9月ころからなぜか徐々に腰が痛くなり始めたお尻や腿の裏向う脛などに坐骨神経痛特有の痛み。10月になると腰を真っ直ぐ伸ばせなくなる日も出てきてウォーキングも休みがちそんな状況で展覧会が始まり最終日(10月16日)には腰をかがめて画廊に辿り着くという状況にまでなった終わった翌日は「歩行困難」ちょっと無理しちゃったなあ―終日寝ながらスケッチやエスキースをしていた

寝ながらスケッチ?―今は誰でも寝転びながら絵を描ける時代なの―iPadなどのタブレット端末でね ― 上半身を起こすことさえできない障害者が寝台に絵の具箱をくっつけ家族の介助を得ながら油絵を描く映像を見たことがあるどうしても油絵具でなければならないとかいうのでなければ現代はタブレットなどを使って絵を描くことは容易な時代になったわたし自身も仮にこのまま下肢がダメになっても絵を描き続けられることには全く疑いを持っていない鉛筆1本だって絵は絵だしましてや色まで「寝たままで一瞬で」塗れるとなれば

彫刻家だって3Dプリンターを使えば作品を作れないわけではない建築家が実物の建築をプリンターで造った例もあるし本物の戦車をつくって路上を走り回り逮捕された物騒なやつさえいるテロリストグループが機関銃をプリンターでこっそり量産できる時代だ最近3Dプリンターが話題にならなくなったのはそれがもう珍しいことでは無くなったということなのでしょう文明の利器に感謝?です

ベッドに腹這いになって描く腰に負担はかからないがぶら下げる腕の使い方に慣れてないので1~2時間で肩が痛くなり続けられないゴロっと反対向きになって映画を見る見終わったらまたスケッチや絵を描くエスキース程度ならこれまでも腰が痛い時など腹ばいでスケッチブックに描くような場面もあったがコロナによってそんな場面(時代)が今後日常的な姿になると確認できた古代ギリシアでは市民は寝たままで食事をし寝たままで勉強議論したようである(用事は奴隷にやってもらう)コロナ禍前は想像もしていなかった「古代ギリシア的・プラトン(のアカデミア)的」な生活様式である(ただしいずれにしても奴隷!はいない)

展覽結束,畫展結束

場館風景

銀座下門畫廊的群展「生活在風景Ⅷ」於16日結束。。電暈之下、感謝所有不辭辛勞前來的人。。麻煩給我打電話、寄明信片等的人、謝謝。

展覽期間、尼基展覽在東京六本木國家藝術中心舉行、上一篇介紹過的獨立展覽、個展等。、一些個展、我還參觀了群展。。每個人都在竭盡全力。巨大的能量注入其中、材料量、資金。以及許多各種各樣的犧牲。以及我得到的少量自我滿足感、像一種祝福、幾乎沒有社交技巧的私人欽佩。還有比「健康」更適合的字眼嗎?。

「在我個人的藝術史中,、「藝術的歷史已經結束了,」他很久以前寫道。。我再次確認了這一點。誰もが絵を描かなくなるという意味ではないそれどころか10年後には絵を描くことはもっと手軽になり、我認為每個人畫畫都是為了消磨時間。。已經完成了、也就是說,「我沒有什麼好補充的」。、就藝術史而言,這意味著我們已經到達了本書的結尾。、(至少是現代日本風格的)藝術展覽形式。

最起碼,日本當代藝術展覽需要個人犧牲(而不是負擔)。、太大了,我敢稱之為「犧牲」。。日本獨特的群展體系、這是一種透過將犧牲除以人數來減少犧牲量的方法。、還有藝術公寓,藝術家們靠著舔彼此的傷口維生。。藝術家可以自由創作自己想要的東西、離自由出版的理想太遠。作家になるということは社会から逸脱するという覚悟社会的自殺の覚悟が要るといっても過言ではない家族まで巻き添えにしてたまさか運よく流行作家になれた人だけを見てその犠牲的精神を格好いいと思うのは時代錯誤でありそれを強いる似たような社会的抑圧(たとえば女性の社会的地位)の風土と通底する

いまはインターネットがあるインターネットがそれらの問題を一挙に解決するなどという妄想はさすがに妄想家を自認するわたしも持たないが最低でもその一部を軽減してくれる程度の力はすでに持っている創作の厳しさ(努力)と身体的社会的犠牲とを混同してはならない創作の厳しさは自分自身が解放される場所からでなけれ乗り越えられないと思うからである

Youtube

獨木舟

上個月(9月)5日,YouTube頻道「藍色海鷗繪畫班」開通。。「藍海鷗展」成員互動的場所、學習地點、我想用它來進行個人會員演示等。、在讓我充滿希望的同時,。

開幕已近1個月。現在,我看 YouTube 的目的是自己製作。。在它開業之前,這是別人的事。、當你開始用那雙眼睛看它時、每次我看到它,我的希望就會減弱。吸引大量觀看次數的頻道品質符合預期。、數量均處於高水準、100年也達不到目標的感覺越來越強烈。

不用說,YouTuber 都有使用電腦的能力。、演講技巧也很棒。相機、燈光等專業知識及實際工作。編輯能力與品味、最重要的是,強烈的「溝通」慾望。一切都感覺那麼遙遠,遙不可及。。他們之中、也許最重要的是「溝通與分享」的強烈慾望、這就是我所缺少的。我無法與任何人聯繫、當我獨處的時候我一點也不感到孤獨、因為我覺得這樣最好玩。。

但、然後它最終只是假裝繪畫。。或許一張照片確實就是這樣。、我不禁有些不甘心。。我想把自己以外的世界擴大一點。。我選擇了《藍色海鷗》、為此,這對我來說也是一種負擔。。有點難、透過對自己施加輕微的義務感,當遇到困難時,我會傾向於逃跑。、我想留在這裡而不是逃跑。。