選挙と暴挙

時には想像でスケッチしよう

中央アジアのジョージアで先日国会議員の選挙があったたまたま日本も一昨日衆議院(議員)選挙があり自公が大幅に後退したばかりなのでついでにでもちょっと目を向けて見たらどうかなと記事にしました日本の選挙結果は概ね予想通りの結果になったようですがわたしはジョージアの選挙結果も衆議院(議員)選挙と同じくらいの関心を持って見ていました

「なんでジョージアやねん?」そもそもジョージアという国が地球上のどこにあるか日本人の中には知らない人もいるかもしれませんぜひスマホで地図を見て頂きたいと思いますワイン好きの人などは知っているかもしれませんがニュースにも滅多に出てこないし出てもほぼロシア関連ですからそちらの方に注意力が向くのもある意味仕方ありません

ジョージアウクライナそしてモルドバいまウクライナ戦争が黒海周辺を発端に行われていますがこの3国は黒海に面して繋がっていますそのジョージアの国政選挙(定数150)で親ロシア派の議員が多くを占めました大統領(ちなみに女性です)自身がこの結果を認めず(与党ではなく!)野党と一体になって「国民的なデモ」を呼びかける事態になっていますロシアが絡むと必ずと言っていいほど起きる「違法投票」「選挙結果の改ざん」ということですどういうことなんでしょうか?

少しだけ歴史を調べ少しだけ想像力を働かせば容易に答えにたどり着く事ができるでしょう。Բայց、今はそれを書く気持ちが起きません

数字がすべてではない

今宵は十三夜の月が眩しい(18時ころ)

今日は衆議院選挙の告示(公示)日どの政党も「経済の立て直し」「失われた30年を取り戻す(経済)」「安全保障」「政治の信頼回復」が共通ワードだ

日本のGDPがインドに抜かれ第5位(すでにドイツに抜かれている)に転落しそうだそれをV字回復させると候補者たちが力説するこの30年間ほとんど給料が上がらなかったのは先進国のなかで日本だけとの声も大きい

でもこの30年間は本当に「失われた」のだろうか?30年前の日本はすでに世界最先端の新幹線を定時正確安全に運行できていたがその安全性快適性はさらに向上した。30年前の公園や公共施設のたとえばトイレなどの生活環境バリアフリーなどの細かい配慮と浸透道の駅だのスーパーなどへの利便性などどれほど快適になったか世界は今こそ日本を羨ましがっているのではないか?
 「働き方改革」もかつて「エコノミック・アニマル」と揶揄され「ザンギョウ(残業)」や「karousi(過労死)」を国際語にした「数字がすべて」のモーレツ社員たちの時代から日本の会社員の一週間の労働時間はすでにアメリカより少なくなった「出世しなくていい自分らしい生き方」で働きはじめた現代の若者たちが世界の同世代たちのモデルになりつつあるのではないか?そんな平和でバランスの取れた国になるために「30年」は必要な時間だったのではないか?
 世界の歴史を概観すると一つの国が成長成熟するのに30年など決して長くはないどころか奇跡的に短いとさえ思えるこの選挙キャンペーンはこれからも若者たちを(奴隷のように)「コキ使いたい」経済界の薄汚いインボウなのではないか?とさえ思える

開発・発展(途上)という「単語」は勇ましいしそこにはインフラ投資が不可欠だからGDPも右肩上がりで「政治的には」格好いいだが「インフラ投資」というのは聞こえはいいが要するに「国の財政的賭け」とほぼ同義語であり賭けに負ければ廃墟が林立することになる(中国のやり方を見れば判る)すでに30年前の日本のインフラは世界標準から見てもかなりの程度に整備されておりそれ以後は新たな開発・発展というよりそれを全国的に敷衍向上洗練させることがむしろ課題になっていたその間に日本の文化に対する世界の評価も高まっている確かに今も色々問題はあるがそれらを維持向上する発想やそれを連携するシステムそれにかかる時間的なコストを無視したうえでGDPだの物価の安定を無視した給与比較の数字だけで判断するのは大きな間違いだとは経済の素人でも分かることではないか
 決して「失われて」などいないとわたしは思う勇ましい「V字回復」などむしろ国民をかつての「社畜」状態に戻そうという経済界の目先の利益に迎合する言葉だとさえ感じる「政治不信」メディアはなぜそれを「政治『家』に対する不信」と正しく伝えることができないのかと情けなくも思う(長くなってごめんなさい)