
目が悪くなってきたせいか、それとも別の原因なのか、デッサンが正確に取れなくなっている。この人物像(仮にオルガと名づけておく)も、実際のモデルさんに比べて顔、首が長すぎる。
この習作は「肖像」ではなく、は「背景の作り方」をテーマにしているので、実害は無さそうに見える。ولی、それが心のどこかに引っかかって、ずっと最後まで尾を引いている。少なくとも自分ではそう感じる。なにか、自分の中で歯車がきちんと噛み合っていない。
目が悪くなってきたせいか、それとも別の原因なのか、デッサンが正確に取れなくなっている。この人物像(仮にオルガと名づけておく)も、実際のモデルさんに比べて顔、首が長すぎる。
この習作は「肖像」ではなく、は「背景の作り方」をテーマにしているので、実害は無さそうに見える。ولی、それが心のどこかに引っかかって、ずっと最後まで尾を引いている。少なくとも自分ではそう感じる。なにか、自分の中で歯車がきちんと噛み合っていない。
「カーテンの光」、日本語的にはあまり正しくない使い方ですが、スペースとインパクトの両方から、このタイトルにしました。ここのところ、カーテンを使った習作を続けたので、「カーテンシリーズ」とも言えそうな感じです。そのビデオ版ですね。
前回のアップロードから1週間。その時間内で編集。公開すること自体を目標にしました。結局、当初予定より約3時間遅れの今朝(2024.12.01)、11時20分頃にアップしました。細かい部分での不満はたくさんあるけど、編集時間が限られているので、(毎回手前みそながら)これで良しとしました。
「青いカモメの絵画教室」チャンネルを見ると、99本の動画があるらしい(iPad を練習するための数秒のものも含め)。まる3年になってしまった。一応、動画として意識して作ったのが79本。どうやら次は記念の回になるらしいが、どう意識したってその時次第にしかなりません。
YouTubeを見たことさえなかった自分が、YouTubeにアップするようになるなんて考えもしなかったが、それが良かったのかマイナスだったのかは、これから次第。اما、この先残された時間を考えると、YouTubeでの希望は持たない方が良さそうだ。原点回帰、もうっと絵を楽しまないと人生自体が損だなあ、とボケた頭で考えているところ。
ただいま「カーテンの練習」中。絵の中のカーテンには古典時代からすでにいろいろな使い方がある。
ヨーロッパの絵画では基本的に背景に使われる。フェルメールなどカーテンかタペストリーを多用している。近代になると、マルケのカーテンを通す光で逆光のヌードが煌めく様を描いた絵などを思い起こす。ボナールにもそんな絵があったような気がする。とにかく、カーテンは絵画の要素として「華やか」「繊細」「静か」時には秘密めいた雰囲気をつくるのに、よく利用されてきた。
お得意のカーテンの表現を2つ、3つを持っていれば、構成がかなりらくになるだろうなー、とは前から考えていた。ولی、いざ描くとなると表現的にも難しいし、使えそうなシチュエーションになかなかぶつからない。だから(絵画的に)いい状況に出くわしたら小まめに写真などを撮って、普段からストックしておく必要がある。そして練習。