絵の行く末

東通村/Shiranuka - 氣溫 18°、大風

8/27(週一)至8月30日(週四)、8月第二次下北之旅。這次我不能帶自己的車了。、為了只留下下北的大畫。。車上擠滿了人、我不覺得我剩下多少了。。

這是我第一次來下北。、我向開車送我的人提供了一些觀光資訊。。一日內完成從尻屋崎到恐山的一般路線、第二天他想畫一艘漁船。、部分漁港週邊。我也是、我在一本小素描本上畫了大約20張圖畫。。

當我揮筆的時候我是無辜的,但是、一邊走一邊尋找下一個地方、不知為什麼,我有一種悲傷的感覺。也許是因為天氣的原因。但、似乎是因為在很多方面感覺這就是「終結」。。包括我自己、「結束」這個字有多種意義。圖片我也帶進來了、也許沒有人會再看到它。。剩下的畫我得盡快運走。、我還認為直接運到我們的焚燒爐會更好。。回程僅需 9 小時車程,行程超過 700 公里。。即使我不開車我也很累。

無芸・無趣味の親

    制作中

沒有人活著、我正在家裡打掃父母的房間。。而不是處置、剛剛整理。出生於大正13年、精力充沛的父親因突然的蛛網膜下腔出血去世了。。即使出生於昭和1年(不到一週前)的母親就這樣過世了。、處置沒有問題。

因為沒有什麼值錢的東西。有很多事情、儘管我什至沒有地方可以走(尤其是因為我不住在那裡)、興趣嗜好和東西、沒有什麼能讓我關心我的生活方式。。無芸・無趣味。滿溢的都是雜七雜八的衣服。。就連衣服、色などのこだわりもまったく見出せない。正是您所需要的、只要金額。除了焚燒一切之外我看不到任何意義。。

說到“只是活著”、我覺得這樣說太殘忍了。、就是這樣的感覺。大概是時代的原因。參戰、昭和時代出生的孩子該吃什麼?、他們養育了出生於明治時代的父母。、他不僅照顧他的許多兄弟,還照顧他們的家人。、我用盡了我的身體、時間、金錢和精神。、而且,即使被告知要有一個愛好,、我想我買不起。。如果、即使你有「額外」的愛好、一場讓其他人相信這件事的戰鬥、需要更多的能量。尋求與現代相提並論、對他們太殘忍。簡而言之、現在正是豐收的時節、這就是它的意思。

父親是高中小學生、我媽媽才小學畢業(當時是國立學校)。、今の常識に照らしても二人とも「おバカな夫婦」ではなかった特に母は家庭さえ許せば向学心に燃えていたし自分がもっと勉強したかった想いをポロポロと雫がこぼれるように幼い私に降りかけた(と思う)

然而、「何のために生きているのか」「自分というものをどう考えるのか」と浅はかな学生身分の私は親に「詰問」したそれは両親への問いというより私自身の歴史の無理解による単に無慈悲な「指弾」だったなぜ彼らの人生が目の前の「捨てても構わないボロ切れ」と化したのか当時の私は無邪気というよりそのような想像力もなく何も考えていなかった私が死を迎える時息子が私の生き方をどう見るか息子は私のような馬鹿ではないが私は何だか両親と結局同じ無芸・無趣味な人で終わるような気がしている

「日本の歴史」もそろそろラストページ

「飛ぶ男」(制作中)

8/16、気温18° Tシャツ1枚では寒い昨日から断続的に時折大きな音を立てて降り続くお墓も掃除し実家の仏壇の扉を閉めたお盆は終わりあとは絵を描くだけだ

終戦特集のTVでいくつかの番組を見たNHKの「ノモンハン事変」戦争孤児にスポットを当てた「駅の子」記事では戦争トラウマを扱ったものを読んだ

常に繰り返されるのは「無責任」「不誠実」そして「現実より幹部間の個人的人間関係優先」あるいは「組織優先のフリをした卑しい利益主義」「日本という国」の「意思決定」の曖昧さいい加減さだ今もどこか変わっただろうか?

一言でその理由をいえば教育の欠如だ「日本の教育水準高いのでは?」と自画自賛的に思っている人は少なくない確かに識字率などは高い(もっと低い所と比べてるだけだが)。但、論理的に考え説明でき行動できる能力は驚くほど低い大学の先生クラスでも論理がメチャクチャな人は幾らでもいる大学の先生は単なる専門家ではダメなのだということが当の先生自体解らないそういう連中に教わってくるのだから大臣国会議員もあの程度だしそういう連中を選ぶ国民になるわけだ頭のいい連中が国民を「愚民化」してきたという説もあるが論理的に考えれば馬鹿げた説だということは簡単に理解できるはず

「次の戦争」が起これば「そのあとの日本」は平和になるだろう。那個國家叫日本、「過去」としてしか存在しなくなるからだ愚かな国は無くなることこそふさわしい