橘子皮

クッキーかなと頂いたピンクの袋を開けたらオレンジピール春になったのを感じた妻の実家には夏ミカンの木がたくさんあり子どもがまだ小さい頃は休みの度に連れて行きその実をもいだものだった

自分の頭ぐらいの大きな実をもぎ取る体験が非日常的でエキサイトするから使う目的も無くやたらに摘み取ってしまう。一天、山のように盛り上がった夏ミカンをどうしようか頭の隅で悩みつつオレンジピール作りを子どもに持ちかけたガス代とグラニュー糖代の方がかかるとの反対を押し切ってはじめて二人だけで作ってみた苦みがありチョコレートも無かったがとても喜んでくれたどっさり作ってしばらく楽しんだいい思い出だ

それ以来子どもを喜ばすことなどやってあげた記憶がほとんどない自分のことだけで一杯一杯だった気がするいまさら反省したって遅いが―「へぇーっチョコレートのボリュームがすごいね」と息子やっぱり買ったものとは違うねと妻「これは夏ミカンじゃないね苦みがないもの」とわたし

啊、気持に余裕がないなあ気分的なものだけでなくすべてに余裕がなくなってきた生きている残り時間も含めてせめてわたしも何か美味しいものを自分で作るだけの気持を取り戻したいなあ

草圖

気が滅入ることだらけ社会的にもだが個人的にも自分だけで解決しなければならない問題もあれば自分ではどうにもできないこともある

自分ではどうにもできないことは放っぽっておくしかないのは解っているのに悶々とするそのくせ自分で解決しなければならない問題にはいつまでたっても手をこまねいているそして勝手に滅入っている典型的な馬鹿の自画像

不同意、このスケッチのことじゃないこれはそうした硬い雰囲気の中で少しでも体を動かして自分をリラックスさせようとして描いてみたものだ中身はどうでもいいが描くこと自体に意味があるスケッチというのは有難いものだ描いているうちに身体から緊張が取れていく慣れた動きに脳が反応しそれが身体にフィードバックされて筋肉が弛緩する、就是這樣的感覺。

風景中的蘋果

蘋果在風景中(主意)

醒來前、我夢見了一張 Kooshka 海報。20195月「維也納現代主義」展、這是我和植松先生在大阪看到的一幅畫的夢想。。我已經完全忘記了、沒有任何警告、突然出現在我的夢裡。在我的記憶消失之前、我暫時在已經畫完的100號畫布上做了一些「虛擬添加」(當然,Kokoschka的海報品質要高得多)。。

到現在大約一週了、製作時我陷入了停滯……方向已經決定了 - 我繪製它的方式幾乎已經決定了 - “但我無法想出一個具體的圖像” - 感到沮喪。、再畫一張小圖、我在打掃工作室和工作的時候一直在思考這個問題。。但是……什麼事也沒發生。、我開始有點緊張。。

二十世紀的奧斯卡·科科施卡、他可能被認為是“表現主義畫家”。。出生於奧地利(最終國籍為英國)。於瑞士去世。他與克林姆和席勒一起參加了維也納分離派運動。、他發布了令人矚目的公告(我首先是從年表中了解到的)、顯然他也在包浩斯任教。 )。但最終我沒有給組。、他是一個一直走在自己世界裡的人。。
說實話、我還是不太理解他的畫。、我一點也不喜歡。儘管如此,由於某些原因,作品還是有一種「沉重」感。、永遠別讓我走。——三年過去了,今天早上,它突然出現在我夢中的枕頭上。。- 不要忘記你的夢想的啟示、我立刻跳上樓去找展覽圖錄。。

在夢中、「これだよ!」と叫んだような気がする時計を見ると6時前寝たのは1時半頃だから睡眠学的にはある種の「神がかりの時間帯」らしい「神(がいるならば)がアイデアをプレゼンしてくれたこれを活かさなければ文字通り罰が当たる」と思いながら寝具を跳ね除けたのだった