彼岸花の周辺

         「彼岸花」  ペン、màu nước

先日のブログに上げた「曼珠沙華=彼岸花」を描いてみます花そのものは凄かったのでそれを描くためののエスキースです

一つ一つの花を描いても「彼岸花」にはなりませんその前に個別の植物学的分類というものがあって(それ自体も「揺れ動く」のですが)「彼岸」という仏教用語に繋がる歴史的環境的意味関係をいったんは断ち切りますそれを踏まえたうえで秋の彼岸の時期にまとまって咲くこの花の全体としての存在が「彼岸花」だというのならまとまった花の「情景」こそ「彼岸花」ではないかなんて理屈を捏ねてみた試作です

彼岸花を一個ずつ描いてもしょうがない(というより意味がない)かと言って赤のベタ塗りだけで判ってください(記号)ってのもある意味傲慢でしょうかペンで花の下描きをクルクルしてみたらあの飾り花のクルクル感を「感じて貰えるかな~」なんて120%希望的観測の初回エスキース甘すぎるのは解ってますがでも他にどうやったらいいんでしょうね?

チューリップ畑ですか?といわれても返答ができませんコスモス?といわれたらちょっと違うかもーなんて言えるけど花の「かたち」ではなく「花の情景」ですから個々人の感覚に異を唱えることはできませんというわけで今回の弁解と致します

この時季

        「栗」   鉛筆水彩 

あっちを向いても戦争こっちを向いても戦争もしくは内戦よくもまあこうも飽きずに人は殺し合うものだと思うそれぞれ大義を掲げてはいても、cuối cùng、「泥棒にも三分の理」

けれどそういう「喧嘩両成敗」的な言い方は実はまったく公平ではない戦争を例にするなら戦力の差があり過ぎるケースもある殺戮的な武器を持たない地域のトラブルのようなものに力を持った第三者が別の隠された目的をもって一方に武器を提供するような場合このような場合は短時間で弱い方が完全に消滅してしまうことがあるあとは「死人に口なし」

典型的な「宗教」に隠された殺戮宗教や歴史的な深い知識がないと迂闊に正しいだの正義だのとは言いにくいとつい遠慮してしまうが結局は信仰と命のどちらを優先するかということわたしは迷うことなく目の前の命が最優先だ宗教だけでなく性別年齢も差別はしない、có lẽ。ノーベル賞発表の季節になったがノーベル平和賞なんて意味があるのかと疑問を感じるのはたぶんわたしだけではない

今日も I 氏より栗を頂いた先日の栗のブログを見たから採ってきたというそればかり描いているわけにもいかないが立派な栗だったとりあえず写真だけ撮っておこう

Manjushaka

Hôm nọ tôi không thể cho bạn xem được.、Đây là Manjusaka từ Công viên Satte Gongendo tỉnh Saitama (Cuối cùng tôi đã tìm được một phương thức di chuyển khác)。Có lẽ là đợt nở hoa đẹp nhất trong những năm gần đây.。Năm nay tiếp tục nắng nóng、Nó hơi giống một đợt hạn hán.、Có lẽ tốt cho hoa。

10Người ta nói rằng thời gian hoa nở rộ bị trì hoãn khoảng hai tuần kể từ tháng Sáu.、Nếu đám đông như thế này thì bạn không cần phải lo lắng về xung quanh.、Có vẻ như bạn có thể xem nó từ từ。vào buổi tối、để tải lên instagram、Mọi người đến chụp ảnh với nhiều kiểu dáng đa dạng về trang điểm, trang phục, đạo cụ.。Thật thú vị khi nhìn nó từ bên cạnh.。Một làn gió mùa thu sảng khoái đang thổi trên bờ.。