千葉県は「関心の外」?

台風15号による千葉県の被害がひどい台風そのものは9月8日の日曜日から月曜日の朝にかけて特に千葉県を手ひどく傷つけながら太平洋に去っていった当初から関東に上陸する史上最大の台風とか報道されていて被害は「想定内」であるかのように思われた(鉄道の遅延不通も含めて)

千葉県の被害が「想定外」に大きく報道されるようになったのは「新内閣の閣僚人事」が発表されてからだったように思う被害状況が次第に明らかになってくるにつれ政府や東電の対応のノロさが目立ってきた特に政府(首相)の対応には鈍感というより内閣人事が最優先で千葉県には「無関心」と言った方が近い感覚を感じた同じ災害でもマスコミの敏感な九州広島などへの対応との「危機感の差」は歴然だった

千葉県は「首都圏」内である鴨川市や館山市南房総市などは今後2週間をめどに電力復旧を目指すのだという(2019/9/13現在)色々面倒な事情は報道されているが仮にも「首都圏」であるそれがほぼ1ヶ月放置状態というのは「仕方ない」では済まされないのではないか東京の千代田区中央区あたりが「1ヶ月放置」と考えてみればその意味は明らかだ千代田区中央区には千葉県のような「倒木」の心配はないだろうが「倒木」はなくてもそれに代わる駐車中の自動車網の目のようにはりめぐらされた電車地下鉄など別のなんらかの障害物が想定されるからだ

災害が起きているまさにその時安倍首相は「次の防災担当大臣を誰にしようか」と考えていたことになる「情報が届かなかった」私たち民間のしかも個人間なら「ごめんね」でも仕方ない。En、れっきとした「日本国政府」が私たちと同レベルの「ごめんね」で済まされるはずはないイージス・アショアは北朝鮮からの「不意の」ミサイル攻撃に備えるものとして莫大な予算措置を講じ地元に受け入れを迫っている安倍首相は(災害の大きさが次第にが明らかになってから)「災害は待った無しだ」と各報道機関に見得を切った台風は「不意討ち」どころか、10árum síðan、50年前にまで遡って災害資料を得ることもできる「待った無しだ」とはどういう意味なのか

館山南房総市鴨川市鋸南町は海に面しているなぜ船を出さないのか不思議だった。3/11の東日本大震災では海上保安庁海上自衛隊が躊躇する中在日アメリカ海軍が「ともだち作戦」を敢行し三陸沖に軍艦を出動させその後政府が船を準備し始めたのは記憶に新しい政府は一体どこを向いているのか日本国民は政府の目の届かないはるか遠くに住んでいるにちがいない首都圏とは永田町だけのことだと辞書に追加記載しておこう

Dagur með þunnt blóð

Epli eða landslag með fljúgandi manni、習作 2019

Lestu dagatalið rangt、Ég fór á Listasafnið í dag (þriðjudag)。Upplýsingatak fyrir „lokað í dag“ rétt eftir að hafa yfirgefið miðahliðið。Ef þeir gerðu það að minnsta kosti sýnilegt fyrir framan miðahliðið gætum við vistað fargjöld til lestar.、Ég held að það sé líklega vegna þess að stjórnunarákvörðun neðanjarðarlestarinnar á ekki að vera sett þar.、Ég er tvímenningur。

(Sérstaklega) Ég er ekki með blóð í höfðinu á mér、Það eru dagar þegar mér líður þannig。Hver hlutur er brotinn og er ekki hægt að tengja það。Það er í dag、Til að sjá sýningarnar tvær、Ég get ekki teiknað neðanjarðarlestarlínurnar sem hreyfast á milli vettvanga í höfðinu á mér。Hvaða lína er það sem þú ert að hjóla núna?、Hvar og hvaða línu flytur þú?、Get ekki tengst fljótt。Ég mun hjóla yfir、Ég mun fara um leið、Ég ætla að hata mig líka。

Auðvitað fæ ég sterkan höfuðverk á þessum dögum、Ég ætla ekki að gera neitt。Daglegur höfuðverkur fer eftir styrkleika。Það er ekki þess virði að taka lyf、Ekki þess virði að fara á sjúkrahús。En daglegur höfuðverkur er svolítið þungur。Ég held að það sé ekki gagnlegt að skoða myndina í þeim aðstæðum、Einn er síðasti dagurinn svo ég hef ekki val en að fara。

Framleiðslan er unnin í þessu hugarástandi.。Jafnvel ef þú kemur með hugmynd、Ég get ekki fyllt það upp á fyllingarstiginu。Ferlið við loksins að koma „hugmyndum“ í „vinnu“ er í rústum、Ég verð slöpp og ráfar alla leið í áttina。

道は二つに分かれる

ガマズミはどこにでもある食べてみようと思うかどうか

自然を取るか都会を取るかなんでも自分でやるかお金で解決するかと言い換えるともう少しわかりやすかも知れないそもそも選択そのものができないという人も少なくないに違いない

生きていれば意識的・無意識的に拘らず毎日たくさんの選択肢(選ばないという選択肢も含めて)の中のどれかを選び続けることになる時には前後に矛盾する選択もしながらしかもそれを忘れ続けながら否応なく次の選択を迫られていく究極の選択肢はこの2つに絞られているように思う

小さな農漁村に行くとまず空気や水が綺麗だなと感じる自分の目が少し良くなったかと思うほど視覚がクリアで鮮やかに感じられるしばらくするとここに住む人々はどうやって生活しているのかと幾分か不思議な気持になる朝の天気を見て今日は山へ行くか川(海)へ行くかを決める日によっては休む誰に断る必要もない山で何をするのかといえば仕事らしい仕事もない(山でせっせと仕事をしているのは土木会社などのサラリーマンだ)川や海のひとは昆布を拾ったり(拾えばそれに付随する作業・仕事は続く)漁があれば漁へなければ漁具の手入れとか漁獲も半分はあてにならない「運」の要素が大きいそれでどうやって毎日を暮らしていくのか都会の人から見たら不思議な感じがしないだろうか少なくとも私には不思議な気がする

寒村に暮らそうと都会に暮らそうと毎日食べるものは食べ着るものは着なくてはならない病気や怪我をすれば医者にもかからなければならないし薬も必要だ足腰の弱くなった人々には車が不可欠だし田舎でのガソリンは概して都会より割高だ。Ákveðin merking、田舎暮らしはお金がかかるのだ確実に現金収入を得られるサラリーマンの仕事はほとんどない計算できるのは日雇いの現場作業員がせいぜい老齢になればそれさえ無理だそれでどうやって暮らすのか

子供たちに聞いてみたくても子どもがいないほとんどの学校が廃校されているからだ小さい子どものいる家庭は都会へ引っ越こせと強制されているようなものだ村政としては矛盾というかジレンマである子どもを地域に残せば財政赤字広い地域の子を無理に1カ所に通わせようとすればむしろ都会へ出た方が選択肢が広がるという状況がある

画家などという仕事は都会に住んで田舎暮らしをしているようなものかも知れないどうやって暮らすのか私は田舎暮らしのノウハウがよく分かっていない「田舎人」らしい最近は田舎へ行くたびにより強くそう感じるようになってきた「根無し草」そう言われたことも思い出す