
昨日(2023.06.18)で晨春会展が終わりました。わざわざ時間を取って見に来て下さった皆さん、ありがとうございます。感謝です。わたし自身もいろいろな方から、展覧会の案内状を頂くのですが、忙しさだけでなく、体調不良などで行けないことも多いので、「わざわざ」という言葉を実感を持って感じます。Grazie mille。
今日から次のスケジュールに移ります、というだけではなんだか殺風景な挨拶ですが、実情はそんなところなんです。「次のスケジュール」って新作に取り掛かるかのように聞こえるかもしれませんが、実はさらに無粋なことに、まずは展覧会の後始末。それから中断していた細々の世事、やりかけの雑事をできるだけ済まして、やっと描きかけ、あるいは新作に取り掛かることができます。絵にとりかかるまでのモロモロを考えると、正直かなりウンザリです。ma、わたしだけでなく、皆がそうなのですから、呑み込むしかないのですが。
会期中の6日間、たくさんの人が見に来て下さり、メンバーがそれぞれの絵の前で簡単な説明をしたりします。絵は見ればいいだけで、解釈も自由にしていいのですから、説明など蛇足なだけでなく、見る人の感性や解釈にある方向性を与えてしまうマイナス面も持っています。その点では、できるだけ何も言わない方がいいと思っているのですが、どうもそれだけではなさそうです。
他人に説明することは、目の前の自分の絵とこれまでの過程について、これから描く絵について、一枚の絵の外側からも考えるきっかけになります。それは作家にとって大きなプラス面で、展覧会はそのためにやっているといってもいいほどです。本当は深く自問自答すればいいだけの話かもしれませんが、見知らぬ他人との問答を繰り返すことが、普段とは別の新しいフィルターで自分の思考をろ過し、研ぎ澄ましていくことにもなるように思います。
solo、やっぱり普段と違うことをするので、変な具合に疲れます。若い時は展覧会の前2~3カ月間は目の前の絵以外は何も目に留まらないほど集中、閉会後の2~3カ月は虚脱状態で他に何にもできないほどのアップダウンでした。いまはもう個展もしなくなり、そんなこともなくなりましたが、それでも疲れるのは年齢が加算されているからかも知れません。あと10年、いやあと5年、何を最後に表現できるのか、大げさかもしれませんが、人生の意味が問われているんだなと、期間中ずっと考えていました。