「美しい日本」から「狂った日本」への道

千葉県・関宿城公園の紅葉

今年は紅葉がきれいだとラジオで何度も聞いている近所を歩いても殊更には感じないがそれなりにきれいだとは思う車で近くの関宿城公園へ行ってみた車で25分の距離だがふつうのママチャリ自転車でも45分くらいで行ける(往復20kmくらい)

午後3時ころ着いたからもう「夕陽」に近かったそれの「赤み」を差し引いてもまだ中秋の風情の紅葉(写真)です今年は暖冬とは聞かないが昨年の「例外的な」暖冬につぐ「例外」なのかもしれない快晴の日差しも暖かく3℃~14℃とはとても思えない穏やかさだった

一方で哀しい現実も見たこの公園自慢の関東でも指折りの辛夷(こぶし)の大樹がついに朽果て見る影もなくなっていたこと(写真はあまりに痛々しく掲載しません)この木のそばでいろんな思い出をつくったなあとしばし感慨に浸った

書くのをやめようかと思ったがやはり記録のために書いておくコロナ感染拡大とGoToキャンペーン「国民のために働く」と銘打っておきながらことごとく「説明は差し控える」菅内閣安部から引き継いだ日銀の無制限国債買いによる「見せかけの好況(株価だけ)」予想されていた「働き方改革による」自殺率(特に若い女性の)の大幅アップ(コロナによらない)失業率の増加オリンピック(無料・有料ボランティア)と「パソナ」)皇嗣・皇女関連のメディアの視点の浅はかさ等々あげればきりがないのに内閣支持率が落ちないという「国民の常識」だめだここだけでもスペースが足りん。(2020/12/01)

„Skýrsla um framkvæmd framkvæmdar“ - 2. hluti

眩しい朝日を浴びるのもいいもの

いろいろ用事のある日ふだんは車か自転車を使ってきたが歩ける範囲はなるべく歩こうと考えたらこの歩数になったスマートフォンの地図上で距離を計算してみると、10km以上歩いたことになる

スマートフォンの記録によると、2019年の平均歩数は2216今年は今日までの平均が1927歩歩行距離にするとせいぜい1kmちょっとコロナの関連でなくても出歩かないことがよくわかる今年はただ寝ていたわけではなくむしろオンラインでの作業が忙しかったからその分食べる量飲む量は反対にふえた気がするメタボ予備軍も当然の結果です

歩きさえすれば健康を維持できるなんて一種の信仰のようなものだとは思いつつ「改善実行レポート」をきっかけに実際はかなり無理して歩いているそこで気がついたこと感じたことは少なくない「歩くこと」と「時間不足」もそのひとつ歩く時間が増えたからといってそのぶん時間が足りなくなったとも感じない気づかないうちにむしろ上手に時間をやりくりするようになったのかもしれない要するに「時間がない」から「歩けない」のではなかったということもうひとつは「体のキレ」時には平坦でないところも歩くから身体は自然にバランスをとるようになるのかもしれない「頭脳のキレ」は今のところ感じない

ちょうど6年前歩行困難になり自宅前の横断歩道(6~7m?)さえ渡り切れず車に轢かれそうになって向こう側に転がった時のことを忘れない「歩くこと」についてすこし勉強してみようかな