Природна бідність

"Натюрморт та навчальні роботи Apple"(розлучатися) 2019/8/25

Цьогорічне перебування в Шимокіті було трохи "удачі"。28Припускаючи, що я повернусь у день、Лише 20 днів、Як і в попередні роки、Я наполегливо працював і зробив свою роботу。Частково це тому, що термін для фотографій для роботи близький.、Я дійсно думаю, що нерви бідних людей вроджуються。

Я фактично приніс намет (але、テントを張るようなところに1日も出かけなかった)山にでも海辺にでもテントを張って終日ゴロゴロ寝転んでいればいいし晴れたら海でも川でも釣りにでも行けば良かったじゃないかと今頃になって釣り道具を用意する「気持ちもなかった」ことを残念に思う

川は水が流れているだけではない(それは川ではなく単なる水路のことだ)。вчора、黄貂の話をしたが自然の川とはそれらの動物やその餌となる植物やら何やらと一体になっている「環境」そのもののことだ自然のそばにいて「環境」に関わらない時間というものを持っていいものだろうかそれが「雪の中であの美しい黄色をもう一度見たい」などと口走る自分の在りようなのだろうか

「あ〜あ」幾つになっても幼い我が精神よ(幼稚だと言っているだけですよ「若い」という意味はありません)「豊かさとはなにか」考えるヒントはゴロゴロしているのにゴロゴロしない人には見えないんだなあがっくり