sýn

「Apple」習作

絵画とは「ビジョン」だけで完結するものかも知れないビジョンとは「見えることもの」をいうそれを「画面に定着」することは必ずしも必要でないそういう意味ならすでに映画やビデオがあるというよりもっとラジカルに仮に言葉で聞き手の脳に像を描かせることさえできればそれを絵画と呼んでいいのではないかという意味で

あるいはビジョンのリアリティと言っていいかともむしろ絵画にとってはこの方がずっと重要で「見る人にとって」リアリティの無いものは絵画ではないと言ったらどうだろうか当然リアリティとは何かということになるがそれは「見る人」次第ということになる作者はどこへ行ってしまうのか?それでは不特定多数に対して発表する絵など描けないではないか。Ósammála、作者は作者で見る人のことなど考えずに自分のリアリティだけ追求すればいいのだ作者と見る人の関係が断絶していることにおいて初めて本当の関係が成り立つのかも知れない…などとぼつぼつ

Gefið út af

Takashi

Persónulegt blogg Takashi。Ekki bara um málverk、Það sem ég hugsa um á hverjum degi、hvað þér finnst、Ég skrifa það sem mér dettur í hug。Þetta blogg er þriðja kynslóðin。Frá upphafi eru liðin yfir 20 ár.。 2023Frá 1. janúar、Í bili ákvað ég að skrifa bara á oddadögum.。Ég ætla að hugsa um framtíðarstefnu mína og annað stykki fyrir stykki.。

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