80回目の楽しみ

スケッチの楽しみ方に似ているようだ

俳句を始めて数年になる毎月1回の句会も昨日で80回になった途中で自分なりの工夫を凝らした時期もあったが概ね惰性でかつ句会前日の「ねつ造俳句」が今もほとんど反省

17文字がやはり窮屈だと感じることが最近ある(無季の俳句もあるが)俳句の基本的理解としては一句にひとつの季語を入れることになっている基本リズムは五これを上(かみ)中(なか)下(しも)と呼ぶなら多くは上か下かに季語が入りその繋ぎでたいてい5文字を消費する

残りは12文字だがリズム上の制約があり使える単語が絞られてくるだから類想類句が多くなる。更確切地說、そうせざるを得なくなってくる

しかし絵画における色の数より単語の数は多い色数の限られた絵画のイマジネーションが尽きることのないように俳句もまた一語一字の選択や配置などによって伝わる内容も微妙に変化する(ようだ)こう書くと職人的な楽しみ方しかないように聞こえるがそうでもない

然後、俳句は本当に楽しいのかと聞かれるとどうもよく分からないねつ造もそれなりの苦しさがあるからやめても良さそうに思えるがあえて止めもしないたぶんどこかに何らかの自己満足感があり本当の楽しさといえばそれで十分なのかもしれない

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高志的個人博客。不只是關於繪畫、我每天都在想什麼、你感覺到什麼、我想到什麼就寫什麼。這個部落格已經是第三代了。從開始到現在,已經有20多年了。。 2023從1月1日起、現在,我決定只在奇數天寫作。。我會一點一點地思考我未來的方向和其他事情。。

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