
上手にボタンをかけることができない男の子が1人。
その子より幼い子でもちゃんとできたから、それは男の子が幼すぎたからではない。
男の子は初めて自分でかけたボタンをかけ違った。大人のしぐさを正確に真似たつもりだったが、そして十分に動作を呑み込んでからボタンをかけてみたのだったが、ボタンとボタンの穴はひとつずつずれていた。
彼は急いで全てのボタンをはずし、やり直した。しかし再びボタンはひとつずつずれた。彼は意地になり、何度もかけなおしたが、その度にボタンは意地悪くずれるのだった。
Ósammála、実は何度かきちんと合ったこともある。En、彼は偶然にできたことに納得がいかず、必ずぴったり合うための「秘密」を知ろうとした。
それは彼にとって、大変な難問であった。どうして他の子はいつもちゃんとできるのだろう(彼にはそう思われた)と思ったが、その子に直接「どうやるの?」と聞くことはなかった。
「こうやるんだよ」と自慢げにやって見せられるだけでは、秘密は明かされないと彼は考えた。自分ができることと、人に説明できることとは別だ、と彼は本能的に悟っていた。それに、そんなすごい秘密を簡単に教えてくれるはずはない、と大人っぽく先回りして考えていた。
やがて、男の子は指から血を流しながらすべてのボタンを引きちぎり、地面に投げつけて何度も何度も踏みつけた。ボタンのせいではないと解ってはいたが。
1人の女の子がそれを見ていた。
その子はいつも自分でちゃんとボタンがかけられたが、なぜ自分がうまくできるのかなど、考えたことも無い。そんなの、彼女にとって当たり前のことにすぎなかったから。
女の子には、男の子が異様なほどボタン遊びに熱中しているように見えた。そして彼がついにボタンを踏みつけた時、まるで自分が踏みつけられたように感じて、思わず叫んでしまった。
「ばか!」 2013/8/1