リズムについて

風景 F4 水彩 2011

最近出かけることが少なくなったから相対的に制作時間が増えてきたこれは歓迎すべきことである画家には制作のリズムが欠かせないそれを忙しさの中にも維持しなければならないがいつの間にかみずからそれを壊してしまっていたことがあらためて見えてきた制作時間が増えれば自然に自分のリズムを取り戻すことができる

誰だったか忘れたが人間とは過去の塊だという意味のことを言った人がいる過去とはあらゆる可能性の廃棄処分場であり今とは単に偶然とか運命としか呼びようのない「可能性の幻」だそれでは考えたり努力することは無駄なのか?― 実はそうなのである動物は決して努力などしない努力とは人間を動物から分け自らが人間を含む他の動物から搾取する存在になるために考え出した政治的な嘘の美名でもあるところが体のリズムはその嘘を簡単に突き破り私たちもまた動物そのものである事実を否応なく突きつけてくる

それは自分に嘘をつかず過剰な欲望を持たず真摯なる「無目的(無自覚という意味)」に生きるという動物のごく普通の姿であるもっともこれではあまりに素朴な人間・動物観だと言われるかも知れないがどうも原点はその辺りにあることを忘れ過ぎているような気がしてならない  2011/7/3

由...出版

高志的個人博客。不只是關於繪畫、我每天都在想什麼、你感覺到什麼、我想到什麼就寫什麼。這個部落格已經是第三代了。從開始到現在,已經有20多年了。。 2023從1月1日起、現在,我決定只在奇數天寫作。。我會一點一點地思考我未來的方向和其他事情。。

3 thoughts on “リズムについて”

  1. 意識というとき僕らは心で考えていると いう
    僕たちの生き方は 意識によって 方向づけられている いう
    ぼくらの 意識は ゾウリムシがイオン濃度を  電気的刺激  を忌避するときの
     それと どれだけ違うのか
     カタツムリの眼の伸ばされたその眼球を風のワタる感触とどれだけ違うのか

    たぶん僕たちは  意識という  まったく やれやれ 思い上がった
    心の 構造に ほんとうに 手を焼いているのだと思う
    僕の  意識や心とは たぶん ゾウリムシが この世界のイオン濃度を忌避するぐらいの
    だいそれた
    風合いしか もたない

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