trapně

akvarelový efekt

大学時代の同級生からメールが来た展覧会を見に来るつもりだ、Tomu se říká。なぜだか急にうろたえる。"To je nebezpečné.、Musím vymyslet nějaký slušnější obrázek.“。ale、展覧会の一つは明後日からでもう出品しちゃったし、Další začíná příští pondělí.。Bez ohledu na to, jak jsem zaneprázdněn, už je příliš pozdě。

Když o tom přemýšlíte、Kreslím už od studentských let.、Téměř nikdy jsem to neukazoval svým přátelům。決して隠したり、Nebylo to ale tak, že bych kreslil tajně.、Myslím, že se o tom jen nemluvilo.。promoce、najít práci、そして多くの同級生たちがそれなりに地位やあとに残せる資産などを作って退職するようになっていまだに就職もせず(できず)、žádná pozice、資産にいたっては就職1年生にも及ばないというオロカモノはどうしているのか、40Do jaké míry existují obrázky, které jsem kreslil déle než rok s ohledem na jednu věc?、Možná mu na mě záleží.、Myslím, že ano。

jistě、Nedostat práci、Nechodila jsem ani na uměleckou školu.、Jen proto, že tě miluji、40Připadá mi zvláštní, že jsem mohl žít přes 20 let.。多分役に立たないモノ好きも何人かは世の中にいても悪くはないと社会が受け入れてくれたからだろう特に努力もしなかったからなおさらそうだとしか思えない。Pak、今さらジタバタしなくてもいいかもとすぐ自分に都合のいいように考える。To je výsledek 40 let、と胸を張っては言えないが人の物を盗んで見せるわけではないから「これだよ」と聞こえないような小さな声で言おうと思う

akvarelový efekt

akvarelový efekt

パソコンのソフトで、Zkoušel jsem efekt akvarelu。Trochu mě to překvapilo。

dávno、描画ソフトで「水彩」というのを試した時タイムラグも大きいしその効果もマジックインキを薄めただけという感じでとても使えないと思いそれ以来無視していた。Ale、プロのイラストレーターたちの色の出し方などを見ていると逆にもうコンピュータを使わないと無理だなと思うことだらけになってきた

ほんのたまに使い普段は死んだような状態になっているソフトに新しいブラシを導入してみると…すごい進化している!!使い物にならなかったのはソフトではなく自分の頭の方だった日進月歩のソフトだから当時のギャップなどあっという間に改良されたのだろう。stále、どんなブラシがどんな効果なのか全く把握できていないのでとりあえずはブラシを知ることだ

エミリー・ウングワレ

エミリー・ウングワレ「私の故郷」1992

エミリー・ウングワレ(Emily Kame Kngwarreye 1910?-1996)はオーストラリアの中央砂漠の端の小さな集落にアボリジニとして生まれたいわゆる西洋式の教育を殆ど受けたことがなくアボリジニの伝統しきたりの中で育ちそこから出たこともなかった

オーストラリア政府の教育プロジェクトの一環として近くで美術と工芸のプログラムが始められエミリーがそれに参加したのはもう80歳目前の時だ始めはバティック(染色の一種)を学んだが、2年ほどして美術の授業を受けそこで初めてキャンバスに絵を描くことを体験するそれまでは(西洋)絵画に関する一切の知識も経験もなく絵筆を握ったことさえなかった

この時のプログラムの最後に受講者たちの展覧会が開かれそこでエミリーの絵が注目を浴びる。1〜2年のうちに現代絵画の世界的な展覧会に招待されるようになりオーストラリアを代表する作家になる絵というものに触れた瞬間から亡くなるまでのわずか5〜6年世界の現代絵画のなかで特別な位置を占めるまでになった

彼女自身にとってはそのような栄光にほとんど意味はなく依然として砂漠に住み周囲の自然の感覚の中でヤムイモの収穫を祈りそれを食べ感謝の唄を歌い踊るキャンバスに絵具を塗ることもそのような自然な生活の一部分になったということに彼女自身の意味がある1点数億円で自分の絵が売買されることよりヤムイモや地の霊を思いそこに捧げる歌や踊りのもう一つの方法を絵という形で獲得したことが彼女にとっての価値になった計算するとほぼ1日1枚毎朝顔を洗うように昼寝をするのと同じように描いていたらしい、3000枚の絵私はエミリーが亡くなって2年後にその大展覧会を見た