Hoặc "suy nghĩ"

Apple và một cuốn sách 2021

gần đây、Tôi không thể vẽ một bức tranh chỉ bằng cách suy nghĩ。Trước đây, tranh ra đời không xin phép trong khi tôi chỉ vẽ tranh.。Cho đến khi bạn nhìn thấy một cái gì đó、Sơn、Khi sơn dày hơn、Rửa sạch nó、Chờ đợi cho đến khi một cái gì đó được sinh ra。Đôi khi cần có thời gian、Hình ảnh lần lượt xuất hiện、Bạn có thể hết bạt。

Đột nhiên、Các mảnh vỡ như người, phong cảnh và tĩnh vật có thể được nhìn thấy trên màn hình.。Tôi sẽ nắm bắt nó và bắt đầu vẽ、Không thể đoán trước hình ảnh của bàn thắng。Khi mọi thứ xuất hiện hoàn toàn、Lần đầu tiên, "Tôi nên làm gì sau đây?"、Suy nghĩ về mục tiêu。Trong một số trường hợp, người xuất hiện có thể nhỏ hơn、Phải di chuyển sang phải hoặc trái。dù sao、Tôi thậm chí không biết vẽ gì、Đó là một mớ hỗn độn của bản vẽ、Khi được hỏi, không ngờ có những người kiểu đó。30年くらいはそうやって描いてきた

高名な画家の死後遺されたスケッチやデッサンなどを示しながら「こんなに努力していたのです」的な解説を今でも見かけるそれはそれでいいのだが「そういう努力をしないのはダメだ」的な「教訓」とすることには異議がある運慶とミケランジェロがたまたま同じことを言っている「木(石)の中にすでに彫刻が埋まっているわたしはそれを掘り出すだけだ」それを読んだときわたしも全く同じ感覚を持っていたことに驚いた絵の具を塗りたくるとき塗るというより絵の具で表面を掘り削っている感覚だった

いまはそういう描き方はしていないというより出来なくなった最初に「○○を描こう」と思うそしてその中の3つほどの要素に優先順位をつける1はこれが無いとその絵に意味がなくなるというほど重要なもの3はなくてもいいがあるとふくらみがあるかなという現実的な「欲」2はその中間。đó là lý do tại sao、下描きもするしエスキースもするかつてはそういうものは全くしなかったからほぼ別人になった感じがする。Nhưng、エスキース通りにできた絵は「死んだ絵」になってしまうひらめきというか思いつきというかそれが無いと絵の心臓が動き出さないそれが降りてくる瞬間を待つのは今も変わらない

Chủ đề "Cảnh mùa hè"

夏の情景

何日か前に同じ構図の絵を載せた(8月5日「陸上女子1500m」)その別バージョンその時は前の方がいいと思ったけれど今見るとこちらの方が(一見おとなしく見えるが)線とフラットな色彩のぶつかり合いという狙いの明確さ無地の広さから考えるとこちらの方がより大胆だと(今)は感じる

目先の目くらましの効果につい意識が奪われてしまういつもゴールがどこかを探し続けていないとそれだけで終わってしまうそれはちょっと残念だがゴールをどう設定するかはその人の価値観ということだからたやすくは設定できないし最終的に辿り着くものをいきなり最初に立てるということ自体にも無理がある。Nhưng、ゴールは絶対必要

わたしにとっての絵のゴールとはなんだろうか?わたしはゴールを未だに設定できていないというのはわたしにとってのゴールはすべての制作の彼方にあってまだ遠くからの灯台の光のように時々光芒が見える程度に過ぎないからだただあっちの方角だなと見当をつけて歩いているだけその途上に道が現れ坂を上り下りし時には道のない藪に迷い込んだりするその時々ちょっと小高いところに立てば次の「目標」が見える次は「線の考え方を変える」つぎは「線と色の関係性について考える」などが目標になる

nhưng、1枚の絵にはそれなりのゴールが必要でありそういう意味でのゴールのイメージは当然あるこの絵(に限らないが)のテーマは「表現のパンチ力」「優しい」「気持ちのいい」表現とは少し距離を置こうとしているもっと破壊的前衛的な表現もあるがそれは今のわたしには厳しいボクシングでいえばリング自体を破壊するような表現ではなくとりあえずリングの中で対戦するそういう意味でのパンチ力ジャブは「強い線」ボディブローは「単一な色面」カウンターパンチは「塗り残し」「塗らないという技術」が今のところわたしにはいちばん難しい

Glass apple

Glass apple (2021に加筆)

2020年にいったん完成させた作品に加筆したもの加筆箇所はほぼアウトラインのみ前はウルトラマリンの細い線だった何となく納得できないままほぼ1年放ったらかしになっていたが昨日ふっと「アウトラインの細さが存在感の無さにつながっているのではないか」と思いついた

同じウルトラマリンで太くしてみたが効果が弱いと感じたので思い切って黒を混ぜてみた線の端が必要なラインからはみ出すのは一度筆を止めた直後に無造作に再び筆を置く癖のため水彩の時はそれでリズムをとることもあり必ずしも悪い癖とも言い切れないが注意が必要だまあ試験的な作品だからいいとしておく

黒という絵の具は艶があると締まった深い感じを与えるが艶が無いと灰色に見えてしまう水彩の場合はアクリル板を使うと黒がすごく良く見えるのはこの「艶」の効果ここでも黒だけは艶を出してみた「ガラスのApple」という題にしたがそんな感じは出ただろうか