絵はそんなふうに出来る

「Apple-たそがれ」 そろそろ終了まじか

暑い暑いと言いながらも夕方には暑さのピークも過ぎたかなと思わせる瞬間も感じるようになってきましたそれとともにウオーキングも再開昨夕は歩き始めたらすぐ大きな赤い月が登ってきましたでっかく見えるなあと思っていたらスーパームーンとのこと。8月2回目の満月ということでブルームーンでもあったらしい暑くてもたまには外に出るものですね世界中でたくさんの人がこの月を見上げたようです(インドの月面探査機まで見えたかどうか)

「Apple-たそがれ」はそろそろ仕上げ段階ですが細かいところでちょっと2~3日足踏み全体のバランスですね少し描きすぎてしまったところは壊してしまうかもしれません

自分の絵であり自分の思い通りに描いているのにこれが自分の描きたいものかといえばなぜか今一つそんな気がしないのです説明しにくい一種不思議な感覚ですがいったんスタートするとひとつの流れができてこういう絵になるけれどもしスタート位置が少しずれれば全然違う絵にもなり得るそんな感じ

ヨーロッパの都市たとえばパリの凱旋門のところから四方八方に放射状に道がありますがその中心からどの道を選ぶかによってゴールの風景が異なりますそんな感じに近いかもしれません時にはまったく正反対の道を取ってもパリはパリそれ以外の風景ではないのですが見る人には真逆のイメージとして映ることもあるでしょう自分の描く絵をそんな地図にしてみたらこの絵にはこの道が合っていると直感的に選んでいるわけです時どき立ち止まってあっちの道ならどう見えるだろうかなどと想像しつつとりあえずゴール近くまでは来た違う風景を見たいならまたスタート地点まで戻るそんな感じで描いています

価値観の分断

「新生№5」2008  テンペラ、210×546(cm) そういうこどだったのか・・
「脱皮」2007 テンペラ、91×182(cm) 

今日で8月も終わりなんだか暑いだけだったなーと思っているうちに追い打ちで「9月も暑いってよ」と気象庁が発表しています市役所から今日も熱中症予防のメールが発信されています関東ではどこもそんな状況でしょうが局地的には鳥取新潟山形秋田などの日本海側を中心に今日も厳しい猛暑日が予想されています

福島原発からの汚染水海洋排出大阪万博カジノ推進世界でもウクライナ戦争は言うまでもなく中国対アメリカの,、主義とお金を巡る争い地球温暖化開発と環境とパンデミックの諸問題をめぐって鋭く対立しています結局は価値観の対立ですがそれがさらに細かく分断しそのそれぞれがまた壁のように峻別され協調して乗り越える努力の代わりに簡単に武力が行使されてしまいます

そこまで対外的な事柄でなくごく身近なことにも価値観の分断がありそれぞれ気が重くなるほど強い表現で相手を攻撃していますたとえば“X” (前の“ツイッター”)などを見ても相手側の意見の背景や真意を理解しようとする気持などまったく示されないまま暴言のオンパレードです短い文章だから余計そうなるところもあると思いますが(それは言語力の衰退という新たな問題を孕みますが)何より発信ボタンを押するまでにもう一度(できるだけ)冷静に自分の気持ちを振り返ってみるという時間を持てないことがその理由ではないでしょうか皮肉なことに腕時計を持った時から現代人は“時間を失ってしまった” のです

「価値観」とは自分の中での「価値の順位」のことでもあります人によってその順位に違いがあること自体はたぶん誰もが容認できるでしょう。但、たとえば人を傷つけることはよくないなとということは価値観以前の人類史的な文化遺産だろうと思っていますそれに近い部分に分断が起きてくると価値観どころか “人間観” そのものが揺らいでしまいます
 個人の価値観を大事にするということは時代の流れでありある意味で歴史の必然でもあると思いますが現状での価値観が裂けていくかのような様相はこれまでの“人間” が人間でなくなるというか爬虫類や両生類のように新しいものへ脱皮するそういう変化(進化?)の時なのかもしれないと思っていますそういう想いを一度絵にしてみたことがあります

ゴール Goal

「Appleー一人で行く」テンペラ F6 2023。08.22

この絵では下半分は不要です手で隠して見て頂ければその意味が解ると思いますところがキャンバスを半分に切るわけにもいかず下半分になんとか意味付けをしようと、2ヶ月ほど無駄な時間を費やしました。哦親愛的、手のかかったエスキースだと思えば無意味でもなかったでしょうけれど

もたもたしているうちに性格の異なる二つのアイデアが一つのイメージを共有しているようなどこかバランスの悪い(居心地の良くない)絵になってしまいました下半分を切ることは一つのアイデアを捨て去ることなんですさらに最近の作品の流れを意識し過ぎてちょっと細かい描写?が多くなり過ぎです余分な時間をかけ過ぎると良くないことの好例ですね

とはいえとりあえず終了することができましたゴールにたどり着くことはマラソンと同じように大切なことですゴールして初めてあそこがダメここがいい次はこうしてみようと冷静に見ることができるようになります途中で放棄してしまう場合よりはるかに多くを知ることができますゴール地点の高みからスタート以前からの全体を俯瞰することができるようになるからですね放棄する場合でもいったんゴールまでのご褒美を受け取っているので悔いなく処理することができるのです終了した直後から次の絵を発想スタートすることができました(現在制作中)♪