脳だって身体の一部である以上、他と同じ程度に縮んでいても不思議ではない。頭蓋骨は硬くてそれほど縮まないから、頭の中が空洞化しているのかもしれない。Talandi um það、最近頭の中で谺(こだま)が聞こえるような気がする。minningu、判断力、思考力等マイナスの自覚も大アリだから、サイズだけでなく、質も密度も縮んでいるらしい。「太る」話も聞きたくなる。
もしも、そのアイデアが正しいとするならば、til dæmis、絵画への愛の深さは絵画への興味・関心の深さだと言える。Samt、そのことは、絵を描かない人は描く人より絵画への愛が薄い(浅い)ということを、まったく意味しない。描くことが好き、観ることが好き、それぞれ別のものだと思うから。描かなくたって、好きな画家、作品、美術の歴史、美術の周辺技術など、興味・関心の対象となるものは、どれをとってもそれぞれ底なしに深いものがあるだろうし。 í stuttu máli、通り一遍で、済ませられないものには、どれも愛を感じていると言ったら言い過ぎだろうか。スイーツ愛でもラーメン愛でも、必ずそこに自分の何か、たとえば時間、たとえば体力、たとえばお金というように、負担をかけてでも「もっと深く知りたい」「深く関わりたい」という衝動のようなものがある。それを愛と呼んでいいのではないか、Það er það。
Ég hef misst alls kyns hæfileika undanfarið、Talaðu eins og afsláttur、Ég er farinn að skrifa。raunverulegt、Vegna þess að ég hef fundið svona、Reyndar hæfileikar manna、Svo virðist sem það sé ekki auðvelt að bera saman。
Auðvitað er ekki mögulegt að bera saman mismun á hæfileikum manna og annarra dýra.。「霊長類」などと自らを勝手に最上位に評価して威張っているが、比べる項目自体、人間目線でしかない。人間から見て比較しやすいところしか、人間には見えていない。その人間の中でも、特定の能力、たとえば学習能力(この言い方もあいまいだが)、運動能力、etc,o.fl. Það er vinsælt、Það er svona kraftur sem þú getur gert.。Þess vegna、Reyndar held ég ekki að ég þurfi að vera svona þunglynd heldur。
Að búa á ströndinni、Það heitir Gokai、Það eru í mesta lagi um það bil tíu sentimetra lifandi verur.。Ef þú hugsar um það sem margfætla á klettunum er það nálægt því sem þú ímyndaðir þér。Ég mun ná því og nota það sem beitu、Til þessa goka、血が出るほど噛まれたことがある。 驚いて口の部分を見ると、小さくても立派な牙がある。Þess vegna、“捕まえたら直ちにハサミで頭を切り落とせ” という、かすかに覚えていた教えの意味を、その時初めて了解した。しかもコイツをじっと掴んでいることもできない。どんなに強く握っても、まるで鋼鉄で出来たスブリングかコイルのような感じで、グイグイ指を押しのけ、指のあいだから抜け出してくる。岩にびっしり生えたイガイ(ムール貝によく似た小型の貝)の隙間?に簡単に潜り込んで行けるくらいだから、人間が指を閉じる力など問題にしないのだ。
こんなすごい能力を、人間的に評価しても何の意味もない。人間は走ったり、泳いだりできるから、ついチーターと比べたり、イルカと比べたりするが、たとえばゴカイのような恐るべき能力などに、人間の想像力の方が追いつかない。イカだのタコだのが、体表面の色素を広げたり縮めたりして、身体の色を変えるのは多くの人が知っているが、それを人間の尺度で評価する意味は同じくゼロ。Bara、スゲーというしかない。地球はそんな生き物で溢れているのだ。 Þess vegna、わたしたち老人というイキモノもそう卑下しなくてもいいのかもしれない。Kannski、ボケだって、視点を変えれば、立派に獲得された能力なのかもしれないではないか。社会的弱者などと親切を装った、体のいい強制退去を目論む、企業、政策目線からの一面的な評価に甘んじる必要など、ないのかも知れないね。