そろそろ帰ります

川はひんやりして気持いい次回は一人で釣りを楽しもうと思う
雨水ではない湧き水が轍に入り込んでいる飲もうと思えば飲める

昨日アトリエを片付けガスを止め冷蔵庫のコンセントを抜き全体に掃除機をかけて今年の下北での制作は終わった今日は完全休養で3〜4時間ほど山と川を眺めに行ってきた

山がまた活用されてきているのか子どもが小さい頃連れて行った際はこのまま道が途絶えてしまうのかと心配するほど草がかぶさり木が道にまで枝を出していたのが以前のように大きな車まで通れるようになっていた舗装ではないがそれなりに整備され(小さな崖崩れが2ヶ所落石1ヶ所)安心して走行することができた

下北半島は一体に湿地が多いそのため湿地の植物例えば水芭蕉などは海抜0mからいくらでも見ることができしかも巨大山道を走れば水たまりがいたるところにありしかもよく見ると「たまり」ではなく結構な速さで流れているいたるところから湧き水が溢れ道を流れたまりを作っているのである

霧が多く(日照時間が少ない)冷涼(ではあるが極寒ではない)花崗岩と砂の大地原生林があるなどを考えると動植物特に植物には独特の進化固有種などが見られ(そうである)「そうである」というのはまとまった調査がほとんどなされないからそもそも平地で両サイドを国道が通りそれなりに人の生活に利用もされているとなれば日本中の金太郎飴的な里山の自然と同じに見え学者の興味を引かないのも当然とも言える実際に調査をしてみると結構特異な相があるらしいが研究費もまた「湿地状態」らしいのである

自然貧乏

「Appleのある静物・習作」(部分) 2019/8/25

今年の下北滞在はつい「頑張ってしまった」。28日に帰ると仮定してたったの20日間例年のごとく頑張って仕事してしまった作品の写真締め切りが近いせいもあるがつくづく貧乏人根性が染み付いているんだなあと思う

実はテントを持ってきていた(なのにテントを張るようなところに1日も出かけなかった)山にでも海辺にでもテントを張って終日ゴロゴロ寝転んでいればいいし晴れたら海でも川でも釣りにでも行けば良かったじゃないかと今頃になって釣り道具を用意する「気持ちもなかった」ことを残念に思う

川は水が流れているだけではない(それは川ではなく単なる水路のことだ)昨日黄貂の話をしたが自然の川とはそれらの動物やその餌となる植物やら何やらと一体になっている「環境」そのもののことだ自然のそばにいて「環境」に関わらない時間というものを持っていいものだろうかそれが「雪の中であの美しい黄色をもう一度見たい」などと口走る自分の在りようなのだろうか

「あ〜あ」幾つになっても幼い我が精神よ(幼稚だと言っているだけですよ「若い」という意味はありません)「豊かさとはなにか」考えるヒントはゴロゴロしているのにゴロゴロしない人には見えないんだなあがっくり

制作三昧

「3つのかたち」習作

涼しい、というよりちょっと寒いここ3日間ほどずっと雨と霧時々はかなり強く降った近くのチョロチョロの川も茶色の濁流となり川幅も5倍ほどに広がっていた

大きな絵はなかなか進まない事前のエスキースが不十分だったからなぜ十分にエスキースできなかったのかと遡れば結局は自分の中の迷いに原因があるなぜ何をどう迷うのかそれは言わないことにしておく

小さな絵はいろいろ試みる天気は悪いし涼しいしそもそもここで他にやれることは本を読むことと寝ることくらいしかない。En、暇というのは貴重なものだと思う暇を大事に活用するという考えがすでに間違っているとも思いつつ