魚釣りに行きたくなってきた

「Green Apples」 2020 water color

もう何年も川へも海へも釣りに出かけていない川(湖沼)釣り用のロッド(竿)も海釣用のロッドも何本か階段下のスペースで眠っているルアー(魚型の疑似餌)もワーム(虫型の疑似餌)も使わないままのが何種類もある夜釣り用のリチュウム電池付きの蛍光浮きヘッドライトライフジャケット磯用の靴とか…(たぶん)すぐ使える状態に揃っている

学生の頃によく通った中華料理店(もちろん学生値段)のオーナーは釣り好きで私のスケッチ用のリュックとイーゼルのセットを釣り道具と勘違いして「今日はどこで(釣りをしたの?)」と何度もカウンターの向こうから毎回質いた今から考えると「そういう「(釣りの)よしみ」だからこの人には特別サービスするよいいよね?」と在店中の他の客に暗示してくれていたんだろうと思うなんて優しい心遣い当時はそんな心遣いなど深慮できず「釣りの道具とスケッチの道具の区別も分からないなんて目が悪いのかな」なんて思っていた恥ずかしいですが今になってようやく理解できます

ある時期の英国では(男の)子に伝えなければならない「父の義務」は「釣り」(のマナー)だという「(鱒)釣り」と「(狐)狩」は「貴族の男児」なら必ずマスターしなければならない「必須科目」だった(らしい)鎖国で欧州文化と断絶していた江戸幕府の歴代将軍にも「鷹狩り」を必須修得科目」としていた事実がある(「偶然」とは言いがたい事例がたくさん)私はそれを必ずしも肯定するわけではないがなぜ「釣り」なのかぜひその意味は知りたいと思っていたウォルトンの「釣魚大全」(これは名著ですよ)などを読んだわけです

「英国から学ぶ必要などサラサラ無い」などと言われれば無言になるしかないでも腹いせに「そんな必要が無い」と断言できる「根拠」を示せよくらいは言うのが普通だ

「季語を生かす」は ダメ?

「Apple-rainbow」 2020 Arcid,oil on canvas

「季語」といえば俳句趣味の俳句を始めてから100回目の句会をやったことはつい最近書いた最初はまず季語を覚えること一句の中に季語を重ねないようにとかとにかく十七文字という形式に合わせるだけで精一杯だった途中から季語があると楽だなあと感じ始めごく最近ではそもそも季語があるのがいけないなどとド素人の遊びのくせに歴史ある俳句の世界に(心の中で)イチャモンつけたりすることもある

「季語を活かす」ってどういうことだろうか中学生レベルの常識でいうと「季語」にはそれぞれの季語が持たされている情感というものがある例えば「小春・小春日和」は初冬(11月頃)のやや季節に外れた暖かさをいう(気象用語でもある)のだがその情感というのは「小さな意外性冬という季節の中にポッと与えられた小さな春のような感じ」であるだから雰囲気としては日常の中の機微を詠む際に使うとぴったりくるそのように使うとき「季語を活かす」という(らしい)

だから交通事故などの悲惨な情景や不安さなどをいう時に使ってはいけないということになるそうすると当然だが組み合わせに選ぶ単語やモチーフもそれにふさわしいものをものを選ばざるを得ずその結果として誰が作っても似たような句ばっかりになりがちだ季語とぴったり情感を合わせながらなおかつ新鮮さ新しさを生み出すのは並大抵のことではない専門の俳人ではないほとんどの人は楽な方に流れやすいのが自然だろうからどうしたって凡句の山のひとかけらになるのがせいぜいだ

句を作ってみればわかるが季語はとても便利でしかも実によくできているそれを入れればすぐ俳句の格好がつく「最高の出汁」なのだだから100%の人がそれに頼ってしまう頼ってもいいがそういう「モノの見方」をするようになってしまう発見も発想も無くてもモチーフとの組み合わせさえ調和的なら一見上手な句ができてしまう季語を活かすつもりが季語に巻かれてしまうのであるそれはマズい絵に例えると「富士山に鶴」の絵になってしまうそれはマズいのではないかと凡句の言い訳に愚痴っている

旅行したいな

「Apple trip」 2020/02/02 Oil on canvas F6

しばらく旅行していない「移動」と旅行とは違う自分勝手な定義だが旅行とは何がしか非日常的で少しばかり風景や文化の違いを感じられる場所に行くこと通過もだめそして必ずそこで当地のものを食べることという条件が重なってくるさらに一泊以上すれば旅行感はグッと上昇する

現実の時空の中での旅行だけでなく空想の中の旅行もしなくなっているかも知れない忙しいというよりちょっとした冒険心も無くなっているんだな、vissulega。チャレンジャー精神が枯れているんだあ〜あ

学生の頃はザック(リュック)と寝袋一つあればどこへでも行けるじゃないかと思っていたし実際そんな格好で一月以上も旅行できた行けばなんとかなるといつも思っていたし旅行先でたまたま隣のホームに入ってきた列車の行先を見て急に心がそそられて逆方向の列車に飛び乗ったり多少困ることがあってもそれ自体を楽しんでいたそれは自分の小さな冒険心だけでなく多少の無茶を多めに見てくれる広やかな心が日本中だけでなく世界中のどこにでもあったからだとも思うその人情(必ずしも温かいとは限らないにしても)に触れることが旅行でなくてはできないことだったのかも知れない

旅行しようとりあえず現実でも空想でもいいからまず一歩チャレンジは決心が要るからとりあえず決心の不要な好奇心を膨らますことから触れてみるやってみるもう少しだけ遊び心を取り戻したいと思うことしきり