灰姑娘在日落中

散歩道から少し外れてみた
夕陽が透けて立葵が美しい
一昨日の雨のせいでしょうかこの鮮やかは

夕方までビデオ編集と制作で座りっぱなし脚の感覚がおかしくなってきたので制作の切れ目を見て散歩に出た午後6時過ぎていたがまだ日は残っているいつものコースから少し離れたところに立葵が見えたもう何年も見かけるたびに写真を撮っているからもういいかなと一瞬考えたが「まあ見るだけ見よう」と寄ってみた

これが大正解!低い角度の夕陽が当たって妖しいほど美しい薄い花びらを夕陽が透いてなんとも言えないほど鮮やかであり華麗でありかつ可憐であるこれはわたしの写真技術ではお伝えできないが(それでも普段より鮮やかにわたしには見えますが?)記憶しいつかこの感情は再現してみたい

大樹

    「林」  水彩

木が面白いので描いてみた枝はもっと高い所から出ていてこのサイズではぎりぎり画面に入るかどうかだがそれだとまるで山羊の脚か何かのように見えそうなので枝の位置を下げ本数も増やしてみた

木陰にアジサイが咲いている風だが実は何にもない素通しの風景が広がっていた背景をアジサイで塞ぐことにした背の高い大きな木である腰が悪くなって反り返ることが苦しく梢を見上げることもなくなった梢を渡る風の音を聴くのが心地よい

無憂的圖紙

               「アジサイのイメージ」   アキーラ

目前、アジサイはこれでいったん目途打ち真剣で神経質な絵も現代を反映しているかのようで心を捉えるが描くのも見るのも少し辛い時があるそんな時色で遊ぶだけのようなこんな能天気な絵が硬くなった心をほぐしてくれるような気がする

世界は両面だ必ずといっていいほど良い面と暗い面を持っている「平和のための戦争」なんてバカバカしい言葉だが現実を見るととても笑えない畑にするために木を切り草を焼く国があるかと思えば乾燥と土の流出を防ぐために木を植え草を増やそうとする地域もある人間だって一つの命を長らえるためには他の多くの命を奪わなければ生きていけない一つの論理だけで世界は成り立っているわけではない

美しいものそれは力(パワー)や論理ではないからこそ大事