終了直前。しばらく眺めて、特に問題無ければこれで完成となる。が、既に問題があるのでこの後もう一度加筆(または消去?)することになる。
どこが問題なのか、どう解決すれば良いのかは少し考える時間が要る。急いではいけない。
※実在の個人とは何の関係もありません。架空のお話です。
この年齢になって絵を描いていると、「良い趣味を持って幸せですね」という人と「今更お金の無駄遣いでは?」直接にではないが、そんな心持ちでいう人がいる。vissulega。俺も心のどこかでそんな風に考えることもあるんだよね。
俺もいい歳だし、この先十年も描けるかどうかさえ分からないうえ、描いたからどうだってこともないのははっきりしている。子ども達も口には出さないが、俺の絵の具代で女房に美味しいものでも食わしてくれればまだマシな金の使い方だ、ぐらいに思っているらしい。爺はもうボケ始めて晩酌と絵のことしか頭にないと思っているのだろうが、子どもの考えなんかとっくの昔にお見通しさ。En、あえて喧嘩なんかしない。寂しいもん。
この歳になって、絵も少しは勉強したくなった。考えてみたら、ただ感覚と好き嫌いだけで絵を見たり描いたりしてきただけだから、解らない絵は永久に解らないし、嫌いな絵はただ嫌いだってだけで避けてしまう。でもそれじゃあ、これまでやってきた経験が勿体無いというか、完成しないような気がしてきたんだ。少なくとも、好き嫌いだけで言っちゃいけない絵というものもはあるんじゃないかとは思う。漠然とはしているが、あるグレードというか、走高跳びのバーに似た非情なものがさ。それを見たいよね。
世界は広い。自分の子を芸術家にしようと90過ぎて子どもを作る奴もいれば、90過ぎて美術大学に入学する奴もいる。しかも主席で卒業、大学に残って指導する立場になるなんて…。普通じゃないって言えば普通じゃないが、「絵の世界」ってそんなもんかも知れないよ。俺もその世界の、どこでもいいからそこに自分の墓を建てたいな。
心のどこかでそんな風に考えることもあるんだよね。
※これは架空のお話。実在の人物とは何の関係もありません。
ある日、先生が薔薇を画題にと持ってきた。花を見るのは好きだが、描くのはどうも苦手だ。何より棘があるのが気に入らない。ちくちくと痛そうで腕も筆も動かなくなる。
先生は別に薔薇を描かなくてもいいとは言うが、他に何のアイデアも無いので薔薇を描くより道はない…。ところが、ところが、である。今日に限って何だか上手く描けるじゃない?ふふっ、だてに長年やってるわけじゃないって実力がついに…!思わず鼻歌が出そうになるのをこらえつつ、夢中になって描いてしまった。ふう、程よい疲れってこれよね。
次回まで花は咲いていてくれないから、一気に描けるところまで描くのが花を描くコツ。腕まくりをして、思わず前のめりになった時「あれー?それ私のキャンバスー」。スの音がスーッと伸びた。椅子の後ろに私のニューキャンバスが純白の美しさを放っていた…。