できることできないこと

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「できるできない」はどこで分けられるか「無限の可能性」なんてあり得ない言葉は使わないができる可能性がどのくらいあるかは誰でも考える瞬間があるだろう

「(何事も)やってみなければわからない」とはわたし自身もよく使う言葉だがおそらく日本中でこのフレーズが聞こえない日は一日とて無いに違いない。En、ちょっと考えてみるとそれはある程度可能性がある(と推定される)場合に言われることであって多くの場合は「やってみなくても判る」のが普通である

だから「やってみなければわからない」は多くの場合「できる可能性がある(高い)」という意味に近い特に本人がそう思うとき断言はできないがそれはたいてい達成できるそれは本人でなければ計算できない様々なファクターをちゃんと計算しているから
 他人からはどう思われていようとこと自分のことに関しては医者や心理カウンセラーなどより自分の方が深く知っていると無意識に自信を持っているのが命あるものの自然の姿だ

「できるかな?」と感じたら「できる」と思ってまずはやってみよう簡単になどといい加減なことは言わないがきっとできるこれは「意思」とかの問題ではなく自分の全感覚が弾き出した「計算の結果」だから他の何よりも信頼できるデータじゃないですか?

日の温みが恋しい

「日差し」 水彩

AIが登場して世界のビジネス環境はここ数年でさらに大きく変わると言われているわたしは “世間” の端っこで中心からかなり遠いところで生きているがそれでもその風を感じるくらいだから社会のど真ん中で生活している多くの人々には(なかなか直接目に見えるかたちにはならなくても)相当大きな影響があるのは間違いない

極端なことをいうと「生きているのが嫌になる」という人が世界人口の三分の一とか半分くらいになるそんな世界になるような気がしている

auðvitað、企業やある人々(ビジネスと言ったけれど一般の会社員と言うような意味ではなくほんの一握りの経営者かそれに近い人々そのような人々)にとってはなくてはならないツールだろうし便利快適環境あらゆる意味で「神器」となるだろう
 けれどほとんどの人にとっては「便利になったなあ」とぬくぬくしているうちに真綿で首を締められるようにゆっくり?「不要なヒト」に分別されていくそんな世界がとうとう来てしまったのではないか個人だけでなく企業業種国単位でもそのような “淘汰” はもっとストレートに眼に見えてくるはずだどんなに「必死に」頑張ってもそんなことに何の価値もない厳しい世界それが80億のヒトを抱える世界
 パンドラの箱は開いてしまったと前にもAIのことを書いたけれどその状況はさらに加速していると感じる幸も不幸も含めてAI出現以前に戻ることはもうない

日本人の平均寿命が80歳を超えたのはだいぶ前だだんだんそんな歳に近づきそんな世界を目の当たりにする前にどうやら寿命を終えられそうなのは幸せと思うべきなのかもしれないまだ年賀状が机の上に乗っているうちなのにそんなことを考えてしまう

新年の青

「冬の漁港」のための習作

教室でのデモ制作正月らしい旗で満艦飾の漁船でも描きたいと探してみたがちょうどいい資料写真が見つからなかった白い雪と一部の赤で新年の気分になって頂けると有難いです海の絵では何と言っても波の表現がすべてと言ってもいいほど重要でしょう

というわけでさざ波の練習をしましたあたりまえですが遠くの波は小さく手前の波は大きい小さく描くにも限界がある現実や写真では見えてはいても描けるかどうかはまた全然別だからできれば描かずに済む方法を考える描いた方がいいならどういう描き方が適当か紙との相性も含めていちど描いてみる

練習を重ねればうまくなるのは確かだが絵というのは上手ければいいというものではないそこが絵というものの深さへの入口練習ではいつもうまくいっているのに本番で失敗というのは普通にあることしかもその「失敗」の方が芸術的に?良かったりするのはスポーツなどと違うところ―じゃあ練習してもしなくてもいいんじゃない?確かにそうかもしれんしそうでないかも知れん

それにしてもこの船の用途は何だろうウインチがあるところを見ると網を巻き揚げる船だろうかわたしの記憶にはないかたちだ