眼淚和秋天

水彩畫《葡萄上的水滴》

突然有種秋天的感覺。「即使酷暑嚴寒到了春分,、正當我想著「這熱度還要持續相當一段時間」的時候,、剛到春分、事實證明。

秋季風味現已在超市出售。這種葡萄其實是一種叫做巨峰的葡萄。、這不是農民做的。、好像沒有那麼黑。。是什麼造成了這種黑暗、果然,這就是農夫的力量。。但、據我所知、今年太陽輻射太強、它正在褪色嗎?、顯然圖片中這樣的葡萄還有更多。。順便說一句,味道好像和黑的一樣。。

水彩課上我們畫一幅“秋天靜物”、當我這麼說的時候、不知不覺就變成了“水滴特輯”。“水滴”的表達式為、14對本世紀的畫家來說、看來這也是一個展現才華的地方。。范德韋登(Van der Weyden),佛蘭德斯(現荷蘭)畫家、它描繪了當耶穌從十字架上被取下時,瑪麗抱著耶穌的眼淚。、據說它引起了整個歐洲畫家的注意。。

「透明」的表達一直令畫家們著迷。。凡·艾克的同時代人、透明的光芒投射出恐怖的“寶石”。那時,透明玻璃窗終於開始流行。、直到17世紀的維梅爾,他積極地將其融入他的畫作中。。具有透明感的繪畫至今仍很流行。。繪畫的黃金時代、這一切都始於稱為眼淚的「水滴」。。

作家和公司

栗と葡萄の水滴

今日は上野乃木坂と、4つの大きな展覧会を駆け足で廻ってきた(疲れた)東京都美術館の一水会国立新美術館の行動展新制作展それと企画展の田名網敬一展今日は田名網敬一展を紹介するはずだったが会場での写真はちゃんと撮れているもののなぜか転送ができないのが残念(たぶんiPhoneとmicrosoft との相性の悪さが復活)

田名網氏は画家でありアートプロデューサーであり・・であり・・でありのマルチな美術家であるアート系の雑誌やおしゃれな広告雑誌などメディアでの活躍が凄まじいのでうんと若い人は知らないかも知れないが多くの人は「あああれを描いた人か」と一度は眼にしたことがあるほどの人

一人の人間がやれる仕事には限りがあるその「限り」を軽々と越えていくのが天才だとするならば彼は間違いなく天才であるピカソと同類の実際にピカソが大好きらしくピカソ風の(と言ったら怒られるに決まっているが)絵をこれでもかというほどたくさん描いている模倣だとか言われるのを気にしないというよりピカソ愛のあまりピカソになり切ってピカソより多くピカソ風の絵を描いてやるという勢いなのである。而且,、それは彼にとっては趣味の一部

現代において社会で大きな仕事をするには「会社」が不可欠である彼の仕事のほとんどは会社という組織との共同作業である会社というものが彼の力を存分に引き出す力を与えている経済だけでなく会社(組織)というものが社会の中で持つ力をまざまざと見せられた個人の力などそれが原点であるにしても社会に対するインパクトなど知れたもの
 一水会行動展新制作展などどこにも有為の才能の持ち主がいてアイデアや技を競いそれなりの存在感を示してはいるのだがそれが束になっても残念ながら会社には勝てないのであるだから無用だというわけでは全然ないのだが

中秋豐收月

雲から抜け出る直前雲も美しい
雲から抜け出た月が輝いている夕方7時頃

9月17日は中秋の名月街中では周囲が明るすぎるので刈り取り後の田んぼが広がるところまで写真を撮りに行ったはじめは出ていた月に雲がかかり始め待つことしばしいい写真が採れたスマートフォンで露出3秒自転車のサドルに固定して撮った

風も弱くほんの少し涼しくなって穏やかな夕方だった絵に描きたいような月でしたこの月を見逃した方ぜひごゆっくりご覧ください