
前回「怖い世の中だ」を書いたら、数日してNHK「クローズアップ現代」で、「土下座が増えている」という内容の放送があった。土下座して謝る、謝らせる場面が社会に広がりつつあるという。「倍返し」「リベンジ」という言葉を、私たちも何とも思わなくなってきたのが怖い。
酔芙蓉は何となく艶っぽいイメージがある。夕方になると酔ったように朱くなるということで、この名前がついたのだと聞いている。一日で萎んでしまうのも、儚くてなんだか良い(よく見ると意外にしっかりした花なのだが)。
Fréttir um að kínversk skip ráðist ítrekað á japanskt landhelgi eins og alla daga。Í hvert skipti dreifist „sameiginlega viðurkenningin“ um að Kína sé vondur strákur (auðvitað gildir það sama í Kína).。En japönsk verksmiðja、Svo virðist sem stórverslanir hafi eyðilagst í Kína、Þvert á móti vil ég biðja þess að það gerist ekki í Japan。
Mér finnst að lýðræði í Bandaríkjunum sé líka nokkuð hættulegt þessa dagana.。Tæp 70 ár eftir stríðið、Lýðræði í Japan、Ég hef alltaf þráð Ameríku eins og faðir minn、Ég held ég hafi verið að herma eftir。Þegar barnið stækkar、Ég ætti ekki að líkja eftir slæmum hlutum föður míns。
Lýðræði okkar er áfram fyrir Edo tímabilið。Einhverra hluta vegna er ég enn barn。Er góður pabbi of stór?。
一か月ぶりにまた下北半島・恐山へ行ってきた。
恐山には地獄も極楽も目白押しだが、本当の極楽は実は温泉ではないだろうか?建物の形にはなっているが、まあ露天風呂の延長のようなもの。恐山の山地内には無料で入れる温泉は現在4つ。山門を潜るとまっすぐ地蔵堂の方へ敷石の道を行く。中門を抜けたところに3つの湯屋がある。一番左に女湯と書いてあるが入ったことはない。
写真の「花染めの湯」はそこからずっと離れて、ポツンと人通りから見えないところにある。周りはまだガレたままで、ガスが噴き出したり、荒涼とした雰囲気だ。ここが恐山開山時からの最も由緒ある名湯なのだが、恐山がどんどん観光化し、宿泊施設などがやたらに建設され、それらの建物の陰に隠れてしまった。ちなみに名湯は昔のままの混浴である。地獄に男も女も関係ないのだから、当然と言えば当然か。
恐山に行って、温泉に入らないのは、魚釣りに行って一匹も釣らずに帰ってくるようなもの。Hins vegar、殆どの人は釣ろうともせずに帰っていく。糸を下げるだけでも釣りではあるかも知れないが、釣れれば釣りは何倍も面白いものだ。暑い中、上り下りで汗びっしょりになって地獄を歩いた後は、やはり温泉は気持ちがいい。温度もぴったり。脚が自然に伸びていく。身体が勝手にほぐれていく。地獄、極楽はセットでこそ有難い。あの世へ旅立つ前の、つかの間の命の洗濯「老人バスツアー」から「極楽」をカットしては、ツアー会社も賽の河原の鬼同然。お湯に浸けて、ほんの数分でもしわを伸ばしてやりなされ。それが現世供養というものではありませんか?